中日の中田翔が8月15日、本拠地のバンテリンドームで記者会見を行ない、今シーズン限りでの現役引退を表明した。
会見で中田は引退を決意した理由と時期について、こう語った。
「2か月前ぐらいですね。一軍の舞台で生き残るために全力でやっている中で、日々、野球をやっている中で、満足いくスイングができないとか、思い通りに身体が動かないというのを感じてきた。これ以上チームに迷惑をかけられないというのもあります。そういう決断を自分自身で下しました」
広島県出身の中田は、大阪桐蔭高校から2007年の高校生ドラフト1巡目で日本ハムに入団。2009年5月23日(札幌ドーム)のヤクルト戦で1軍デビューを果たした。日本ハムでは13シーズンを過ごし、16年にはリーグ優勝と日本一に貢献。その後、21年8月に無償トレードで巨人へ、23年オフには複数年契約を解除して自由契約となり、中日へ移籍した。
中田は、自身のNPBでのキャリアについて「日本ハムからはじまり、日本ハムに中田翔という選手を育ててもらったと思ってます。そのあとジャイアンツ、ドラゴンズ、本当にたくさんの方にお世話になりました。3球団とも、個人的にはすごく大好きなチームなので、そういうチームのユニホームを着れてすごく幸せだったなと思います」と所属した3球団に感謝を伝えた。
プロ18年目の今季は腰痛の影響で25試合の出場にとどまり、打率.161、2本塁打、4打点と低迷。8月12日には出場選手登録を抹消されていた。
その怪我と向き合いながら、野球をしていた時期については「去年体重を落として、まだ何年も野球をやりたいという思いは強かったですけど、情けないことにあまり回復もせず、酷くなってる一方だなと自分自身すごく感じてました」と故障の回復が芳しくないことを明かした。「最後の方はもう...なんて言えばいいか分からないですけど、自分自身でどうしようもできない状態ではあったという感じでしたね」と率直な思いを語った。
そんな18年のプロ生活は「はっきり言って、うまくいかなかったことの方が多かったかもしれません。でもそういう厳しい世界というのは重々、自分自身、承知したうえで野球人生を続けてきた」と答えた。その中で悔いが残っていることに中日で思うような活躍をファンの前で見せれなかったことを吐露した。「こうやって最後に拾っていただいた中日ドラゴンズに対して、全く貢献できなかったというのは、すごくファンの皆さんに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。悔しい思いはすごく強いなという気持ちです」と目線を下げた。
中田は「本当に僕から野球を取れば何も残らない」とコメント。「僕にとって野球というものは宝物だった。今まで野球ありきの人生を送ってきたので、これから野球がなくなることを考えると、もちろん不安もあります。だけど、野球に携われてすごく幸せだったと思います」と今後の人生に不安も漏らしつつも、野球への感謝を口にした。
最後に中日の大野雄大、ブライト健太が花束を手渡した。他にも藤嶋健人、細川成也、駿太、鵜飼航丞、土田龍空、樋口正修、津田啓史、石橋康太ら10人がサプライズでかけつけると中田の目からは涙がこぼれた。後輩選手と記念撮影を行なった。
中田はNPB通算18シーズンで1783試合に出場。打率.248(6369打数1579安打)、309本塁打、1087打点。“平成の怪物スラッガー”と称されたパワフルな打撃で14、16、20年に打点王のタイトルに輝いた。守備でもベストナインとゴールデングラブ賞をそれぞれ5度受賞している。13、17年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場するなど、日本代表でも活躍した。
構成●THE DIGEST編集部
【画像】中田翔、引退会見前日に日ハム時代の背番号「6」ユニ姿を公開!
会見で中田は引退を決意した理由と時期について、こう語った。
「2か月前ぐらいですね。一軍の舞台で生き残るために全力でやっている中で、日々、野球をやっている中で、満足いくスイングができないとか、思い通りに身体が動かないというのを感じてきた。これ以上チームに迷惑をかけられないというのもあります。そういう決断を自分自身で下しました」
広島県出身の中田は、大阪桐蔭高校から2007年の高校生ドラフト1巡目で日本ハムに入団。2009年5月23日(札幌ドーム)のヤクルト戦で1軍デビューを果たした。日本ハムでは13シーズンを過ごし、16年にはリーグ優勝と日本一に貢献。その後、21年8月に無償トレードで巨人へ、23年オフには複数年契約を解除して自由契約となり、中日へ移籍した。
中田は、自身のNPBでのキャリアについて「日本ハムからはじまり、日本ハムに中田翔という選手を育ててもらったと思ってます。そのあとジャイアンツ、ドラゴンズ、本当にたくさんの方にお世話になりました。3球団とも、個人的にはすごく大好きなチームなので、そういうチームのユニホームを着れてすごく幸せだったなと思います」と所属した3球団に感謝を伝えた。
プロ18年目の今季は腰痛の影響で25試合の出場にとどまり、打率.161、2本塁打、4打点と低迷。8月12日には出場選手登録を抹消されていた。
その怪我と向き合いながら、野球をしていた時期については「去年体重を落として、まだ何年も野球をやりたいという思いは強かったですけど、情けないことにあまり回復もせず、酷くなってる一方だなと自分自身すごく感じてました」と故障の回復が芳しくないことを明かした。「最後の方はもう...なんて言えばいいか分からないですけど、自分自身でどうしようもできない状態ではあったという感じでしたね」と率直な思いを語った。
そんな18年のプロ生活は「はっきり言って、うまくいかなかったことの方が多かったかもしれません。でもそういう厳しい世界というのは重々、自分自身、承知したうえで野球人生を続けてきた」と答えた。その中で悔いが残っていることに中日で思うような活躍をファンの前で見せれなかったことを吐露した。「こうやって最後に拾っていただいた中日ドラゴンズに対して、全く貢献できなかったというのは、すごくファンの皆さんに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。悔しい思いはすごく強いなという気持ちです」と目線を下げた。
中田は「本当に僕から野球を取れば何も残らない」とコメント。「僕にとって野球というものは宝物だった。今まで野球ありきの人生を送ってきたので、これから野球がなくなることを考えると、もちろん不安もあります。だけど、野球に携われてすごく幸せだったと思います」と今後の人生に不安も漏らしつつも、野球への感謝を口にした。
最後に中日の大野雄大、ブライト健太が花束を手渡した。他にも藤嶋健人、細川成也、駿太、鵜飼航丞、土田龍空、樋口正修、津田啓史、石橋康太ら10人がサプライズでかけつけると中田の目からは涙がこぼれた。後輩選手と記念撮影を行なった。
中田はNPB通算18シーズンで1783試合に出場。打率.248(6369打数1579安打)、309本塁打、1087打点。“平成の怪物スラッガー”と称されたパワフルな打撃で14、16、20年に打点王のタイトルに輝いた。守備でもベストナインとゴールデングラブ賞をそれぞれ5度受賞している。13、17年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場するなど、日本代表でも活躍した。
構成●THE DIGEST編集部
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