MLB

過ぎ去りし夏の記憶――MLB史上に残る大爆発を見せた98年6月のサミー・ソーサ

宇根夏樹

2020.06.13

98年、ソーサとマグワイアの本塁打レースはスポーツの枠を超えてアメリカ国民全体の関心事となった。(C)Getty Images

「疑いの余地はない」。6月上旬にポッドキャストの番組で、ジェフ・ペントランドは言いきった。サミー・ソーサは殿堂入りに値するかというホストの質問に対する答えだ。1997年から2002年まで、ペントランドはソーサが在籍したシカゴ・カブスで打撃コーチを務めた。ソーサが記録した通算609本塁打の約半数(292本)は、98~02年の5シーズンに集中している。そのうち3シーズンは60本塁打以上。残る2シーズンは50本と49本を放ち、本塁打王を獲得した。

 ところが、殿堂入りの選考投票では、8度とも得票率15%にすら届いていない(75%で殿堂入りとなる)。最大の理由は薬物疑惑だ。公式の検査では一度もステロイドの陽性反応を示したことはないが、大半の球界関係者が「クロ」だと考えている。03年にはコルク入りバットの使用も発覚した。

 とはいえ、ステロイド使用や不正バットがあったとしても、それだけで本塁打を打てるわけではない。とりわけ、22年前の初夏、98年6月のソーサは凄まじかった。
 
 1日に1試合2本塁打を記録したのを皮切りに、3~8日は5試合連続アーチ。そこからの5試合は1本塁打にとどまったが、15日の1試合3本塁打で月間11本とした。さらに19~20日は連日のマルチ本塁打。24日の本塁打で月間18本のMLB記録に並ぶとその翌日にあっさり更新、30日には仕上げとばかりに月間20本に到達した。6月を迎えた時点では、27本塁打のマーク・マグワイアに14本差をつけられていたが、1ヵ月で4本差に迫った。月間20本塁打は今も破られていない。

 その後、マグワイアとソーサは全米を熱狂の渦に巻き込む熾烈なアーチ合戦を繰り広げた。94~95年のストライキで観客動員が低迷していたMLBだが、2人の本塁打レースがファンを球場に呼び戻した。

 最終的に、マグワイアもソーサもロジャー・マリスの61本塁打(61年)を上回ったが、本塁打王は70本のマグワイアが獲得し、66本のソーサは歴代2位(当時)ながらリーグ2位に終わった。だが、ソーサが挙げた158打点はマグワイアより11多く、こちらはタイトルを手にした。カブスがポストシーズン進出を果たしことも評価され、ソーサはマグワイアに大差をつけてMVPに選ばれた。