毎年新たなスターが出現するプロ野球の世界。しかし、今を時めく選手たちは、必ずしもアマチュア時代から高い評価を受けていたわけではない。そんな“現在”のスター選手のかつての姿を、年間300試合現地で取材するスポーツライター・西尾典文氏に振り返ってもらった。今回紹介するのは、現球界最高の投手と言える巨人・菅野智之である。
◆ ◆ ◆
菅野の投球を初めて見たのは東海大相模高時代、2006年秋の神奈川県大会・桐光学園戦だった。プロフィールは180㎝、70㎏となっているように見るからに細く、当時の取材ノートにも「投手らしさはあるが、上半身と下半身が上手く連動していない」とある。結果も桐光学園打線に13安打7失点で負け投手。この時は完全にチームメイトの田中広輔(現広島)の方が目立っていたことは間違いない。
翌年夏にはだいぶ身体つきは立派になり、ストレートもコンスタントに140キロを超えるようになっていたものの、同学年で関東ナンバーワンと言われていた唐川侑己(現ロッテ/2007年高校生ドラフト1位)と比べるようなレベルではなかった。
そんな菅野の印象が大きく変わったのは、東海大2年の春からだ。1年からリーグ戦でも結果を残していたが、この頃から明らかに腕の振りが強くなり、ボールの勢いも見違えるようにアップしていたのを覚えている。09年5月9日の城西大戦では、6回に制球に苦しんで甘く入ったところを一気に攻略されて5失点負け投手となった。しかし、ストレート、スライダー、カットボールと投げているボール自体は素晴らしいもので、資質の高さを感じさせた。
大学生の場合は下級生の頃に素晴らしいパフォーマンスを見せていても、4年生になると勤続疲労や実績をすでに残したという安心感からか、成績を落とすケースも少なくない。しかし菅野の場合は、3年、4年と学年を経るにつれて安定感が増していったというのも特筆すべき点である。4年春には雑誌の取材で1時間以上インタビューする機会もあったが、その話しぶりからは身体作りやフォームについても将来を考えて取り組んでいることがよく伝わり、意識の高さには驚かされた。
そして、菅野について思い出深いのが12年春のことである。前年のドラフトで日本ハムの1位指名を拒否して浪人生活を送っていた時期だが、リーグ戦ではスタンドから後輩のプレーに熱い視線を送っていたのだ。立場を考えれば公式戦、しかも一般の観客もいる場所にわざわざ顔を見せる必要もなかったはずだ。しかし、菅野の姿からは、外から見る野球からも何かを吸収しようという雰囲気が感じ取れた。
高校時代にはそれほど注目されていなかった投手が球界を代表するエースにまで成長した背景には、一貫して野球に対して意識高く取り組んできた姿勢があったことは間違いないだろう。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。
【PHOTOギャラリー】球界を牽引するスター選手たちの「高校」「大学」当時を秘蔵写真で振り返る
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菅野の投球を初めて見たのは東海大相模高時代、2006年秋の神奈川県大会・桐光学園戦だった。プロフィールは180㎝、70㎏となっているように見るからに細く、当時の取材ノートにも「投手らしさはあるが、上半身と下半身が上手く連動していない」とある。結果も桐光学園打線に13安打7失点で負け投手。この時は完全にチームメイトの田中広輔(現広島)の方が目立っていたことは間違いない。
翌年夏にはだいぶ身体つきは立派になり、ストレートもコンスタントに140キロを超えるようになっていたものの、同学年で関東ナンバーワンと言われていた唐川侑己(現ロッテ/2007年高校生ドラフト1位)と比べるようなレベルではなかった。
そんな菅野の印象が大きく変わったのは、東海大2年の春からだ。1年からリーグ戦でも結果を残していたが、この頃から明らかに腕の振りが強くなり、ボールの勢いも見違えるようにアップしていたのを覚えている。09年5月9日の城西大戦では、6回に制球に苦しんで甘く入ったところを一気に攻略されて5失点負け投手となった。しかし、ストレート、スライダー、カットボールと投げているボール自体は素晴らしいもので、資質の高さを感じさせた。
大学生の場合は下級生の頃に素晴らしいパフォーマンスを見せていても、4年生になると勤続疲労や実績をすでに残したという安心感からか、成績を落とすケースも少なくない。しかし菅野の場合は、3年、4年と学年を経るにつれて安定感が増していったというのも特筆すべき点である。4年春には雑誌の取材で1時間以上インタビューする機会もあったが、その話しぶりからは身体作りやフォームについても将来を考えて取り組んでいることがよく伝わり、意識の高さには驚かされた。
そして、菅野について思い出深いのが12年春のことである。前年のドラフトで日本ハムの1位指名を拒否して浪人生活を送っていた時期だが、リーグ戦ではスタンドから後輩のプレーに熱い視線を送っていたのだ。立場を考えれば公式戦、しかも一般の観客もいる場所にわざわざ顔を見せる必要もなかったはずだ。しかし、菅野の姿からは、外から見る野球からも何かを吸収しようという雰囲気が感じ取れた。
高校時代にはそれほど注目されていなかった投手が球界を代表するエースにまで成長した背景には、一貫して野球に対して意識高く取り組んできた姿勢があったことは間違いないだろう。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。
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