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プロ野球

満身創痍で投じた5球に見た“怪物”の矜持。「最後は逃げない」松坂大輔が引退会見で語った「野球とは何か?」

THE DIGEST編集部

2021.10.21

全盛期からは明らかにスピードが劣る速球。それでも松坂の投じた5球をファンは噛みしめるように見守った。写真:徳原隆元

全盛期からは明らかにスピードが劣る速球。それでも松坂の投じた5球をファンは噛みしめるように見守った。写真:徳原隆元

 日本球界の絶対的なエースとして君臨した“平成の怪物”が、23年に及んだプロ生活に終止符を打った。10月19日の日本ハム戦でラスト登板に臨んだ、西武ライオンズの松坂大輔だ。
【動画】“感謝”の気持ちを込めた! 松坂大輔、全身全霊で投げたラスト5球をチェック

 横浜高校の後輩でもある近藤健介と対峙した背番号18。「どうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後、全部をさらけ出して、すべてを見てもらおう」と投じた5球は、およそ全盛期の球威には及ばないボールだった。

 初球は高めに外れるも、2球目は外角低めにストライク。いずれも118キロの直球だ。その後は2球続けて高めに抜けると、カウント3-1から投じた一球は、近藤の胸元を突くような形となりフォアボールとなった。

 試合後、「プロのマウンドに立っていい状態ではなかった」と正直に明かした。それでも松坂は「投げなければどこか未練が残る」と悔いは口にしなかった。

「半分以上は故障との戦いだったなと思います」

 本人が引退会見の場でそう語ったように、決して平たんな道のりではなかった。とくにボストン・レッドソックスに所属した2008年に右肩を痛めてからは、「痛くない投げ方、痛みが出ても投げられる投げ方を探し始めた」。
 
 年齢を重ねるごとに回復は遅れ、状態はますます悪化する。まさに満身創痍。それでも松坂は「最後は逃げない」。マウンドに上がる際にこだわってきた流儀を貫いた。

「この23年間、あまり自分の状態が良くなくて、投げたくないな、できれば帰りたいな、代わってもらいたいなという時期もあった。でもやっぱり立ち向かう。どんな結果でもすべて受け入れる。自分に不利な状況もはね返してやる。試合のマウンドに立つその瞬間には、必ずその気持ちを持って立つようにしていました。ギリギリまで嫌だと思う時もありましたけど、覚悟を持ってマウンドに立つようにしていました」

「もう投げられない」「とっくに終わった」――。周囲から逆風が吹くなかでも、稀代の天才は懸命なリハビリや練習を重ねてきた。会見では「最後は批判に耐えられなかった」と語ったが、日米6球団を渡り歩いていくなかで、ずっともがいてきた。そんな松坂のひたむきな姿に魅了された人々は少なくないだろう。筆者もそう感じていたひとりである。

 約1時間に渡って行なわれた引退会見では「野球とは何か」と問われた。その質問に「気の利いたことが言えたらいいんですけどね……」と語り出した松坂は10秒ほど沈黙。そして、噛みしめるように、こう続けた。

「5歳くらいから始めて、35年以上になりますけど、ここまできた僕の人生そのものだと言えますし、そのなかで、たくさんの方々に出会えて、助けてもらって、ここまで生かされてきたと思います。本当に皆さんには感謝しています。その思いを込めて何球投げられるか分からないですけど、最後のマウンドに行ってきたい」

 ワインドアップで投じた引退試合での5球。そこには「人生そのもの」と語る松坂の野球に対する強い気持ちがたしかにこもっていた。デビュー当時の唸るような剛速球は見られなかったが、ボロボロになるまで戦い抜いた勇姿に怪物の矜持をたしかに見た。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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