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プロ野球

「最後は批判に耐えられなかった」“平成の怪物”松坂大輔が会見で語った引退の理由「よく諦めずにやった」<2021百選>

THE DIGEST編集部

2021.12.24

現役引退を決意した松坂。会見では「来てほしくなかったような思い」を赤裸々に明かした。(C)THE DIGEST

現役引退を決意した松坂。会見では「来てほしくなかったような思い」を赤裸々に明かした。(C)THE DIGEST

 2021年のスポーツ界における印象的なシーンを『THE DIGEST』のヒット記事で振り返る当企画。今回は、松坂大輔が会見で語った引退の理由をクローズアップする。まさに満身創痍だった「平成の怪物」に一大決心を下させたものは何だったのか。

記事初掲載:2021年10月16日

――◆――◆――

 日本球界で数多の伝説を作ってきた剛腕がついに現役生活に別れを告げた。10月19日、西武ライオンズの松坂大輔が引退会見に臨んだ。

 その剛速球で数多の伝説を残してきた。横浜高校の3年となった1998年夏の甲子園決勝、京都成章戦でノーヒットノーランをやってのけ、春夏連覇という偉業を達成した松坂は、同年のドラフト会議で西武に指名されてプロの扉を開く。そして入団1年目にいきなり16勝を挙げて最多勝に輝くなど「平成の怪物」の異名を欲しいままにした。

 2006年オフには、ポスティングシステム史上最高額となる約5111万ドル(約60億円)でボストン・レッドソックスへ移籍。1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。文字通り日本のエースとして世界にその名を知らしめた。

 しかし、右肘のトミー・ジョン手術を行なった2011年以降は故障の連続だった。満足に投げられない日々のなかでも現役にこだわった男は、15年にソフトバンク・ホークスで日本球界に復帰。17年にテストを経て中日ドラゴンズに入団。そして19年のオフからは、14年ぶりに西武のユニホーム袖を通していた。
 
 センセーショナルなデビューから41歳までプロキャリアを続けていた“怪物”は、今年7月7日に発表してから公の場で語ってこなかった引退への想いを明かした。

「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、なるべく来ないことを願っていると思う。今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような思いがある。現時点ではスッキリしてないんです。このあと投げることになっていますし、投げてそこで自分の気持ちもスッキリするのかな、スッキリしてほしいと思います」

「応援してもらったファンの方はもちろん、アンチのファンの方も含めて感謝しています」とあの人懐っこい笑みが浮かべる。そして、ゆっくりと考えながら、プロキャリア23年を振り返った。

「選手生活の後半は叩かれる方が多かった。もっと早く辞めてもいいタイミングはあったと思いますし、思ったようなパフォーマンスが出せない時期が長く苦しかったですけど、その分たくさんの方に迷惑かけましたけど、よく諦めずにここまでやってきたと思います。

 これまでは叩かれたり、批判されることに対して、なんとか力にして跳ね返そうとやってきたけど、最後は耐えられなかった。心が折れたというか、受け止めて跳ね返す力はもうなかったですね」

 日本ハムとの一戦に向け、「最後の最後、全部をさらけ出して、すべてを見てもらおうと思います」と胸を張った松坂。数多の名シーンを紡いできた思い出の西武ドームで、現役最後のマウンドに立つ。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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