現地3月30日には山本由伸(ドジャース)が5回2安打無失点、4月1日には今永昇太(カブス)がメジャーデビュー戦で6回2安打無失点(9奪三振)と、日本人投手が相次いで好投したことを受け、日本独自のある文化にアメリカでも注目が集まっているようだ。MLB公式X(旧Twitter)が、2日にこんなポストをした。
【写真】黒田、松坂、岩隈、山本、今永……MLBで活躍した背番号18の日本人投手たち
「1960年代から、読売ジャイアンツはエースに背番号18を着けさせるようになった。これを起源として、山本や今永のような日本人メジャーリーガーが同じ背番号を着けるようになった」
「背番号18=エースナンバー」という図式は、本来アメリカにはない。長く18番を着けた投手で、しかもエース級として名前が挙がるのは通算223勝のメル・ハーダーくらい。50年代後半にヤンキースでこの番号を着けていたドン・ラーセンは、56年ワールドシリーズで完全試合を達成したことで知られるが、メジャー14年で通算81勝という数字が示すようにエースではなかった。
MLB公式Xの“中の人”は相当NPBに詳しいようだ。日本において「背番号18=エースナンバー」が定着するきっかけとなったのは、ポストにも書いてある通り60年代の巨人、より具体的に言えば堀内恒夫(67~84年)だと言われている。当時は巨人が日本全国で圧倒的な人気を博したV9時代。絶対的エースとして君臨した堀内の快投が、「18はエースの番号」という印象を強めていったというのが定説だ。
巨人では堀内の後、86年から桑田真澄、12年からは杉内俊哉、19年からは菅野智之というようにエースに18番が受け継がれていった。それとともにこのセオリーは、80年代後半から90年代にかけて他球団にも波及。佐々岡真司(広島/90~07年)、三浦大輔(DeNA/98~20年)、松坂大輔(西武/99~06年)といったエースが着けるとともに、その後各球団でエース級、あるいは将来のエースとしての期待を背負う投手たちに連綿と受け継がれている。
ただ、「背番号18=エースナンバーは60年代の巨人が始めた」というのは一見正しいようで、必ずしも正しくない。なぜなら、堀内以前にも各球団で背番号18を着けたエースはいるからだ。
そもそも巨人においても、堀内の前に18番を着けていたのは藤田元司(58~66年)。58~59年には2年連続MVPも受賞した、れっきとしたエースである。その“先代”の中尾碩志(39~42年、46~57年)も通算209勝を挙げた名投手で、少なくとも50年代には「18をエースに与える」という方針を立てていたことが分かる。その方針に影響を与えたのは、おそらく他球団の背番号18の名投手たちだ。中尾とほぼ同時期の40年代には、松竹ロビンス(DeNAの前身の一つ)の真田重蔵(50年沢村賞)、今はなき東京セネタースの野口二郎(通算237勝)ら、各球団のエースも背番号18を着用していた。
そして、彼らに先立って背番号18を着けていたのが、NPBが産声を上げた36年に阪神入りした若林忠志だ。チェンジアップ、ナックル、フォーク、シンカー、パームとさまざまな球種を操り、“七色の変化球”と称された若林は、通算237勝を挙げたプロ野球黎明期の名投手。厳密な意味での背番号18のエースの“元祖”は、おそらくこの若林になるはずだ。
実に90年近く昔に産声を上げた伝統が現在もNPBで受け継がれているだけでなく、今や海の向こうのMLBでも認知され始めた。現役の背番号18にも森下暢仁(広島)や小園健太(DeNA)ら、将来はメジャーで活躍してくれそうな若き侍たちがいる。今後は「日本出身のエース=背番号18」の図式が、MLBでもさらに浸透していくのではないだろうか。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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「1960年代から、読売ジャイアンツはエースに背番号18を着けさせるようになった。これを起源として、山本や今永のような日本人メジャーリーガーが同じ背番号を着けるようになった」
「背番号18=エースナンバー」という図式は、本来アメリカにはない。長く18番を着けた投手で、しかもエース級として名前が挙がるのは通算223勝のメル・ハーダーくらい。50年代後半にヤンキースでこの番号を着けていたドン・ラーセンは、56年ワールドシリーズで完全試合を達成したことで知られるが、メジャー14年で通算81勝という数字が示すようにエースではなかった。
MLB公式Xの“中の人”は相当NPBに詳しいようだ。日本において「背番号18=エースナンバー」が定着するきっかけとなったのは、ポストにも書いてある通り60年代の巨人、より具体的に言えば堀内恒夫(67~84年)だと言われている。当時は巨人が日本全国で圧倒的な人気を博したV9時代。絶対的エースとして君臨した堀内の快投が、「18はエースの番号」という印象を強めていったというのが定説だ。
巨人では堀内の後、86年から桑田真澄、12年からは杉内俊哉、19年からは菅野智之というようにエースに18番が受け継がれていった。それとともにこのセオリーは、80年代後半から90年代にかけて他球団にも波及。佐々岡真司(広島/90~07年)、三浦大輔(DeNA/98~20年)、松坂大輔(西武/99~06年)といったエースが着けるとともに、その後各球団でエース級、あるいは将来のエースとしての期待を背負う投手たちに連綿と受け継がれている。
ただ、「背番号18=エースナンバーは60年代の巨人が始めた」というのは一見正しいようで、必ずしも正しくない。なぜなら、堀内以前にも各球団で背番号18を着けたエースはいるからだ。
そもそも巨人においても、堀内の前に18番を着けていたのは藤田元司(58~66年)。58~59年には2年連続MVPも受賞した、れっきとしたエースである。その“先代”の中尾碩志(39~42年、46~57年)も通算209勝を挙げた名投手で、少なくとも50年代には「18をエースに与える」という方針を立てていたことが分かる。その方針に影響を与えたのは、おそらく他球団の背番号18の名投手たちだ。中尾とほぼ同時期の40年代には、松竹ロビンス(DeNAの前身の一つ)の真田重蔵(50年沢村賞)、今はなき東京セネタースの野口二郎(通算237勝)ら、各球団のエースも背番号18を着用していた。
そして、彼らに先立って背番号18を着けていたのが、NPBが産声を上げた36年に阪神入りした若林忠志だ。チェンジアップ、ナックル、フォーク、シンカー、パームとさまざまな球種を操り、“七色の変化球”と称された若林は、通算237勝を挙げたプロ野球黎明期の名投手。厳密な意味での背番号18のエースの“元祖”は、おそらくこの若林になるはずだ。
実に90年近く昔に産声を上げた伝統が現在もNPBで受け継がれているだけでなく、今や海の向こうのMLBでも認知され始めた。現役の背番号18にも森下暢仁(広島)や小園健太(DeNA)ら、将来はメジャーで活躍してくれそうな若き侍たちがいる。今後は「日本出身のエース=背番号18」の図式が、MLBでもさらに浸透していくのではないだろうか。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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