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「単打しか打てない、走れない」カーディナルスを”ホワイティ・ボール”で大幅改革――殿堂入りの名将ホワイティ・ハーゾグが92歳で死去<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2024.04.17

GMと監督の役割が明確に分かれているメジャーにあって、ハーゾグは編成でも指揮でも手腕を発揮した稀有な存在だった。(C)Getty Images

GMと監督の役割が明確に分かれているメジャーにあって、ハーゾグは編成でも指揮でも手腕を発揮した稀有な存在だった。(C)Getty Images

 現地4月15日、ロイヤルズやカーディナルスで監督を歴任し、通算1281勝を挙げた殿堂入りの名将ホワイティ・ハーゾグが死去した。92歳だった。

 ハーゾグの遺族は「ホワイティは最期の数日間を家族に囲まれて過ごしました。(中略)別れを告げるのはつらいですが、彼は安らかに、祝福に満ちた最期を迎えました」と声明を発表。監督退任後もセントルイスのファンに愛された好々爺らしく、穏やかに亡くなった。

 現役時代は平凡な外野手だったハーゾグが、球界にその名を知られるようになったのは1975年途中にロイヤルズの監督に就任してからだ。機動力野球を標榜して弱小チームを躍進させ、76年から78年までは3年連続地区優勝を果たしている。ただ、いずれもリーグ優勝決定シリーズでヤンキースに敗れてリーグ優勝は果たせず、79年限りで解任されてしまう。

 名将の座を不動にしたのは、翌80年途中にカーディナルスの監督に就任してからだ。当時のカーディナルスは正一塁手のキース・ヘルナンデスを筆頭に3割打者が揃っていたものの、パワーと機動力に欠ける、いわゆる「アヘ単」系のチームで、ハーゾグも「3安打で1点も取れなかった。1点を取るには単打が4本必要だった。穴はたくさんあったのに、サラリーは高かった」と当時を述懐するほど。投手力もリーグワースト級で、ハーゾグは大規模なチーム改革に着手した。
 
 翌81年からはGMも兼任すると、史上最高の守備力を誇る遊撃手のオジー・スミスや、後の殿堂入りクローザー、ブルース・スーターらを獲得。さらにマイナーから俊足巧打の両打ち外野手ウィリー・マギーを登用するなど、機動力とディフェンス重視の方針を掲げてチームを変貌させていった。

 “ホワイティ・ボール”と名付けられた一連の改革の甲斐もあって、カーディナルスはナ・リーグ有数の強豪へと躍進し、82年には15年ぶりの世界一を達成。これを含めて、ハーゾグが監督を務めた11シーズンで3度のリーグ優勝を果たしている。89年には球団史上初めて年間観客動員が300万人を突破するなど、人気・実力を兼ね備えたチームへと成長させた。

 90年途中でカーディナルスの監督は解任されたが、2チームを躍進させた手腕を買われ、93~94年にはエンジェルスのGMにも登用された。2010年にベテランズ委員会によって殿堂入りを果たし、同年にはカーディナルスが監督時代の背番号24を永久欠番に指定。その名声は不動のものとなった。

 2019年には脳卒中で倒れるなど、近年は闘病が続いていたハーゾグだが、今年4月4日のカーディナルスのホーム開幕戦では、他の球団レジェンドと一緒に登場。ファンから拍手喝采で迎えられるなど、今もセントルイスでは絶大な人気を誇る。ハーゾグの雄姿と功績は、これからもずっと語り継がれていくことだろう。

構成●SLUGGER編集部

【動画】守備・走塁重視でカーディナルスを改革したハーゾグ
 
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