世界一を目指すドジャースのポストシーズンが開幕した。地区シリーズの対戦相手は、西地区の優勝を最後まで争ったパドレス。ドジャースとの対戦が決まった際、ダルビッシュ有が「パドレス、サンディエゴとしてドジャースに勝つというのはすごく大きなこと」と語っていたように、パドレスというチーム、そしてサンディエゴ市民は、若干一方通行気味ではあるがドジャースを強烈にライバル視している。
【動画】プレーオフ初登板の山本由伸に洗礼!マニー・マチャドの豪快2ラン
2021年からパドレスで投げているダルビッシュ自身、17年には2ヵ月間ドジャースに所属してワールドシリーズでも投げた。ドジャースで大活躍した日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄も現在はパドレスのアドバイザー。またドジャース時代にオールスターに出場した斎藤隆も、引退後にパドレスの環太平洋顧問として働いた......というように、日本人選手だけを取り上げても、南カリフォルニアを本拠とする両球団には少なからずつながりがある。
現役選手でも、マニー・マチャドは18年にドジャースに在籍、同年オフにFAとなってパドレスへ移籍した。ドジャー・スタジアムで彼に向けてのブーイングが一際大きいのも、それが理由の一つだ。そしてドジャースの指揮を執るデーブ・ロバーツ監督も、現役時代はドジャース、パドレスの両方で活躍した。
そもそもパドレスは、1969年の設立当初からドジャースと切っても切れない関係だった。68年のオーナー会議では、ナ・リーグに作る新球団のフランチャイズはニューヨーク州バッファローに決まりかけていた。ところが、実力者であるドジャースのウォルター・オマリー・オーナーが強硬にサンディエゴを推し続けて、覆すに至ったのだ。
こうした経緯もあって、パドレスの共同オーナーには元ドジャースGMのバジー・バベイシが就任。GMはバジーが兼ね、ファーム部長は息子のピーター。初代監督に選ばれたプレストン・ゴメスはドジャースの元コーチ、実況中継のアナウンサーも、ドジャースのスーパースターだったデューク・スナイダーが担当。2代目監督のドン・ジマーもドジャースOBだった。パドレスはドジャースの弟分のような立ち位置で、一期生には55年のワールドシリーズ第7戦で完封勝利を挙げ、ドジャース初の世界一のヒーローとなったジョニー・ポドレスも名を連ねていた。 長い間弱小球団だったパドレスは84年に初のリーグ優勝を遂げるが、この時もドジャース関係者が関わっていた。監督のディック・ウィリアムズはドジャース出身であり、主砲のスティーブ・ガービーは長年ドジャースで人気を博した選手。83年にFAで加入したガービーは、84年はレギュラーシーズンでチーム最多の86打点。カブスとのリーグ優勝決定シリーズでは、1勝2敗と追い込まれた第4戦で起死回生のサヨナラ2ランを放つなどの活躍でシリーズMVPに選ばれ、サンディエゴに初の栄光をもたらした。この功績が評価され、ガービーはパドレスには5年しか在籍しなかったにもかかわらず、引退の翌年に背番号「6」は球団初の永久欠番に制定された。
その後もフェルナンド・バレンズエラ、マット・ケンプら、ドジャースの元スターがキャリアの晩年にパドレスへ流れ着いた。こうしたこともあり、ドジャースファンはパドレスをいささか軽んじる傾向があるのは否めない。彼らにとって永遠の宿敵はサンフランシスコのジャイアンツであって、サンディエゴではないのだ。だからこそ却って、パドレスファンにはダルビッシュの発言のように「ドジャース、LAには負けたくない」という気持ちが募るのだろう。
まだ創設以来ワールドチャンピオンになったことのないパドレスだが、2年前の地区シリーズではレギュラーシーズンで22ゲームも離されていたドジャースを打ち負かした。この時から、サンディエゴ市民のドジャースへのコンプレックスはかなり払拭されたようにも思える。
先日のワイルドカード・シリーズでパドレスがブレーブスを撃破した際も、ペトコ・パークは「Beat LA!」の大合唱に包まれた。ドジャー・スタジアムでの第1戦では逆転負けを喫したパドレスだが、ドジャースへの反発心を侮ってはいけない。第2戦以降も激戦が繰り広げられるようなら、ドジャースファンもパドレスを「ライバル」として認知するようになるのではないだろうか。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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現役選手でも、マニー・マチャドは18年にドジャースに在籍、同年オフにFAとなってパドレスへ移籍した。ドジャー・スタジアムで彼に向けてのブーイングが一際大きいのも、それが理由の一つだ。そしてドジャースの指揮を執るデーブ・ロバーツ監督も、現役時代はドジャース、パドレスの両方で活躍した。
そもそもパドレスは、1969年の設立当初からドジャースと切っても切れない関係だった。68年のオーナー会議では、ナ・リーグに作る新球団のフランチャイズはニューヨーク州バッファローに決まりかけていた。ところが、実力者であるドジャースのウォルター・オマリー・オーナーが強硬にサンディエゴを推し続けて、覆すに至ったのだ。
こうした経緯もあって、パドレスの共同オーナーには元ドジャースGMのバジー・バベイシが就任。GMはバジーが兼ね、ファーム部長は息子のピーター。初代監督に選ばれたプレストン・ゴメスはドジャースの元コーチ、実況中継のアナウンサーも、ドジャースのスーパースターだったデューク・スナイダーが担当。2代目監督のドン・ジマーもドジャースOBだった。パドレスはドジャースの弟分のような立ち位置で、一期生には55年のワールドシリーズ第7戦で完封勝利を挙げ、ドジャース初の世界一のヒーローとなったジョニー・ポドレスも名を連ねていた。 長い間弱小球団だったパドレスは84年に初のリーグ優勝を遂げるが、この時もドジャース関係者が関わっていた。監督のディック・ウィリアムズはドジャース出身であり、主砲のスティーブ・ガービーは長年ドジャースで人気を博した選手。83年にFAで加入したガービーは、84年はレギュラーシーズンでチーム最多の86打点。カブスとのリーグ優勝決定シリーズでは、1勝2敗と追い込まれた第4戦で起死回生のサヨナラ2ランを放つなどの活躍でシリーズMVPに選ばれ、サンディエゴに初の栄光をもたらした。この功績が評価され、ガービーはパドレスには5年しか在籍しなかったにもかかわらず、引退の翌年に背番号「6」は球団初の永久欠番に制定された。
その後もフェルナンド・バレンズエラ、マット・ケンプら、ドジャースの元スターがキャリアの晩年にパドレスへ流れ着いた。こうしたこともあり、ドジャースファンはパドレスをいささか軽んじる傾向があるのは否めない。彼らにとって永遠の宿敵はサンフランシスコのジャイアンツであって、サンディエゴではないのだ。だからこそ却って、パドレスファンにはダルビッシュの発言のように「ドジャース、LAには負けたくない」という気持ちが募るのだろう。
まだ創設以来ワールドチャンピオンになったことのないパドレスだが、2年前の地区シリーズではレギュラーシーズンで22ゲームも離されていたドジャースを打ち負かした。この時から、サンディエゴ市民のドジャースへのコンプレックスはかなり払拭されたようにも思える。
先日のワイルドカード・シリーズでパドレスがブレーブスを撃破した際も、ペトコ・パークは「Beat LA!」の大合唱に包まれた。ドジャー・スタジアムでの第1戦では逆転負けを喫したパドレスだが、ドジャースへの反発心を侮ってはいけない。第2戦以降も激戦が繰り広げられるようなら、ドジャースファンもパドレスを「ライバル」として認知するようになるのではないだろうか。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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