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マー君が語った「アメリカでやり残したこと」――ワールドシリーズ制覇の“難易度”を探る〈SLUGGER〉

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2021.02.01

田口(左)は日本人最多の3度出場して世界一2度。反面、“日本人最強投手”ダルビッシュは17年に苦杯をなめている。(C)Getty Images

田口(左)は日本人最多の3度出場して世界一2度。反面、“日本人最強投手”ダルビッシュは17年に苦杯をなめている。(C)Getty Images

 日本人選手で唯一、2回も世界一メンバーになっているのが田口壮だ。1回目はカーディナルス時代の06年。レギュラーシーズンでは控え外野手ながらも、野球IQに裏付けられた小技を名将トニー・ラルーサから評価されて134試合に出場。リーグ優勝決定シリーズまでは代打で4打数4安打、2本塁打と大活躍した。

 ワールドシリーズでは11打数1安打と調子は落としたものの、第4戦では7回に代打バントを見事に決め、さらにこれがエラーとなって出塁。逆転のホームを踏むなど持ち味の小技で存在感を発揮。田口は第5戦の最後のアウトを取る瞬間にもライトを守っており、世界一が決まった瞬間にフィールドに立っていた初の日本人選手となった(前年の井口は世界一の瞬間はベンチに下がっていた)。

 2度目は08年のフィリーズ在籍時で、この時は岩村明憲のいたタンパベイ・レイズとの“日本人対決”が期待されたが、出場機会がなかった。なお、田口は04年にもワールドシリーズ出場を果たしており(レッドソックスに0勝4敗で敗退)、進出3度は日本人最多である。また、ワールドシリーズで対戦した両チームに日本人選手が出場した例は、07年の松坂&岡島(レッドソックス)vs松井稼頭央(ロッキーズ)がある。
 
 逆に世界一まであと一歩のところで敗退したのが、02年の新庄剛志(当時サンフランシスコ・ジャイアンツ)と14年の青木宣親(当時カンザスシティ・ロイヤルズ)、そして17年のダルビッシュ有(当時ロサンゼルス・ドジャース)の3人。

 新庄が日本人初出場を果たした02年のワールドシリーズは、ジャイアンツがロサンゼルス・エンジェルスを第5戦までに3勝2敗と追い詰めたが、そこから2連敗でまさかの敗退。青木は14年のワールドシリーズで主に2番ライトを務めたが、14打数で1安打のみと大ブレーキ。チームも3勝3敗で迎えた第7戦でジャイアンツに2対3で惜敗し、世界一を逃している。

 ある意味で最も惜しかったのはダルビッシュだろう。世界一への最後のピースとして、シーズン途中にテキサス・レンジャーズからドジャースへトレード移籍した右腕は、ポストシーズン2勝を挙げてワールドシリーズの舞台に挑むも、第3戦で1.2回を4失点と炎上。3勝3敗で迎えた第7戦の先発マウンドにも上がったがこの時も2回持たずに5失点を喫し、V逸の決め手になってしまった。

 失意の投球に、当時はドジャースファンから「戦犯」と大バッシングを受けたが、2年後に対戦相手だったヒューストン・アストロズのサイン盗みスキャンダルが発覚。「戦犯」から一転して「被害者」として扱われる壮大な"手のひら返し"を受けた。

 なお、日本人メジャーリーガーで文句なしに史上最高と言える存在のイチローは、19年間でワールドシリーズ進出は一度もなし。ポストシーズン出場も01年のマリナーズと12年のヤンキースの2度だけで、16年には『Yahoo!スポーツ』の「世界一に無縁な10人のスーパースター」のうちの一人に選出されている。

 チームスポーツである野球において、自分の実力だけでは頂点に立つことはできないという好例だが、田中はこの先、悲願のワールドシリーズの舞台に立つことはできるのだろうか。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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