▼技ありの4安打で三冠王を確実に(通算1797~1800安打)
前項でも述べた通り、12年のカブレラは開幕から絶好調。本塁打と打点でリーグトップをひた走り、マイク・トラウト(エンジェルス)らと首位打者争いも演じて1967年以来の三冠王獲得を目前としていた。シーズン終了まで残り3試合となった10月1日時点で、打率.325、43本塁打、136打点はすべてリーグ1位。ただし本塁打はタイで、打率もトラウトとわずか4厘差。しかもこの日、トラウトはマリナーズとの試合で5打数4安打を放って打率を.325まで上げてきた。
だが、それでもトラウトはカブレラを抜くことができなかった。この日はカブレラも同じく5打数4安打。4本ともセンターから右へ飛ぶ打球で、明らかにコンタクト重視の打ち方だったが、3打席目には単独トップとなる44号。これで打率を.329まで上げてトラウトを突き放したカブレラは、最終的に打率.330、44本塁打、139打点でトリプル・クラウンに輝いた。
▼片足を負傷しながら史上最高のクローザーを粉砕(通算1947安打)
どんな大打者にも苦手の投手はいる。カブレラの場合、史上最多の通算652セーブを挙げたマリアーノ・リベラ(ヤンキース)が天敵で、12年までは4打席で4度凡退と完璧に封じられていた。そして5度目の対戦の機会が、13年8月9日に巡ってきた。この試合は3回までにヤンキースが3点を先制するなどタイガースにとっては苦しい展開。7回にカブレラのタイムリーで1点を返したものの、2点差のまま9回にリベラが登場した。
2死二塁の場面で天敵と相対したカブレラは、インコースのボールをカットした際に右足を痛めてしまう。だが、カブレラは痛みに耐えながら粘り続け、カウント2-2の7球目。低めのボールを一閃した打球は、バックスクリーンに飛び込む同点2ランとなった。チームメイトのトリ・ハンターが「あの打席で映画を作るべきだよね」と絶賛したこの一打でカブレラは苦手意識を克服したのか、2日後の対戦でも本塁打を放って再びリベラを粉砕している。
▼番外編:クレメンスから最高の舞台で一発
3000安打にはカウントされないが、ルーキーイヤーにポストシーズンで放ったこの一打も忘れられない。03年、カブレラ擁するマーリンズはワールドシリーズでヤンキースと対戦。カブレラは第1戦から4番に起用されたが最初の3試合は11打数2安打と不発で、マーリンズも1勝2敗と先行を許した。
そして迎えた第4戦、ヤンキースはこの年通算300勝に到達した大投手ロジャー・クレメンスが先発。当時20歳のカブレラは、親子ほども年の離れた40歳のクレメンスと初回2死一塁の場面で初対決した。
初球、クレメンスはカブレラの顔付近に剛速球を投じて“威嚇”。だが、カブレラは涼しい顔を崩さなかった。冷静に好球を待って粘ったカブレラは7球目、外角高めの速球をうまく流し打ちした。打球はあっという間に右翼席に飛び込み、プロプレーヤー・スタジアムを埋め尽くした6万5934人の大観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。
ワールドシリーズという檜舞台で、20歳のルーキーが史上屈指の名投手から放った一発は、大打者誕生を予感させるに十分なものだった。
構成●SLUGGER編集部
前項でも述べた通り、12年のカブレラは開幕から絶好調。本塁打と打点でリーグトップをひた走り、マイク・トラウト(エンジェルス)らと首位打者争いも演じて1967年以来の三冠王獲得を目前としていた。シーズン終了まで残り3試合となった10月1日時点で、打率.325、43本塁打、136打点はすべてリーグ1位。ただし本塁打はタイで、打率もトラウトとわずか4厘差。しかもこの日、トラウトはマリナーズとの試合で5打数4安打を放って打率を.325まで上げてきた。
だが、それでもトラウトはカブレラを抜くことができなかった。この日はカブレラも同じく5打数4安打。4本ともセンターから右へ飛ぶ打球で、明らかにコンタクト重視の打ち方だったが、3打席目には単独トップとなる44号。これで打率を.329まで上げてトラウトを突き放したカブレラは、最終的に打率.330、44本塁打、139打点でトリプル・クラウンに輝いた。
▼片足を負傷しながら史上最高のクローザーを粉砕(通算1947安打)
どんな大打者にも苦手の投手はいる。カブレラの場合、史上最多の通算652セーブを挙げたマリアーノ・リベラ(ヤンキース)が天敵で、12年までは4打席で4度凡退と完璧に封じられていた。そして5度目の対戦の機会が、13年8月9日に巡ってきた。この試合は3回までにヤンキースが3点を先制するなどタイガースにとっては苦しい展開。7回にカブレラのタイムリーで1点を返したものの、2点差のまま9回にリベラが登場した。
2死二塁の場面で天敵と相対したカブレラは、インコースのボールをカットした際に右足を痛めてしまう。だが、カブレラは痛みに耐えながら粘り続け、カウント2-2の7球目。低めのボールを一閃した打球は、バックスクリーンに飛び込む同点2ランとなった。チームメイトのトリ・ハンターが「あの打席で映画を作るべきだよね」と絶賛したこの一打でカブレラは苦手意識を克服したのか、2日後の対戦でも本塁打を放って再びリベラを粉砕している。
▼番外編:クレメンスから最高の舞台で一発
3000安打にはカウントされないが、ルーキーイヤーにポストシーズンで放ったこの一打も忘れられない。03年、カブレラ擁するマーリンズはワールドシリーズでヤンキースと対戦。カブレラは第1戦から4番に起用されたが最初の3試合は11打数2安打と不発で、マーリンズも1勝2敗と先行を許した。
そして迎えた第4戦、ヤンキースはこの年通算300勝に到達した大投手ロジャー・クレメンスが先発。当時20歳のカブレラは、親子ほども年の離れた40歳のクレメンスと初回2死一塁の場面で初対決した。
初球、クレメンスはカブレラの顔付近に剛速球を投じて“威嚇”。だが、カブレラは涼しい顔を崩さなかった。冷静に好球を待って粘ったカブレラは7球目、外角高めの速球をうまく流し打ちした。打球はあっという間に右翼席に飛び込み、プロプレーヤー・スタジアムを埋め尽くした6万5934人の大観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。
ワールドシリーズという檜舞台で、20歳のルーキーが史上屈指の名投手から放った一発は、大打者誕生を予感させるに十分なものだった。
構成●SLUGGER編集部