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MLB

「野球選手はパフォーマーであり俳優」ウィリー・メイズは究極の5ツール・プレーヤーにして究極のショーマンだった<SLUGGER>

出野哲也

2024.06.21

「ホームから135mくらいのところで肩越しに振り返った時も、ボールはしっかり見えていた。完璧なタイミングでボールはグラブに吸い込まれた」。のちに“ザ・キャッチ”、メジャーリーグ史上最高の守備として知られるようになった名場面を、メイズはこのように回想している。大ピンチをしのいだジャイアンツは延長戦の末にサヨナラ勝ち。そのまま勢いに乗り、この年アメリカン・リーグ新記録の年間111勝を挙げたインディアンスに4連勝を収めた。

 メイズは究極の5ツール・プレーヤー、すなわち打撃の確実性とパワー、スピード、守備範囲の広さと強肩の5要素をすべて備えた選手だった。“ザ・キャッチ”も、そのうちの3要素が完全に揃ったからこそ成し遂げられたプレーである。

 殿堂入りの外野手レジー・ジャクソンいわく「ベーブ・ルースは、ファンが見たいのは一つだけ(ホームラン)だった。ウィリーのファンは、彼の為す何もかもを見たいと思った」。

 56年には36本塁打、40盗塁でMLB34年ぶりとなる「30-30」を達成。翌57年も35本塁打、38盗塁で、2年連続30-30を記録した最初の選手となった。65年には自己最多の52本塁打で4度目の本塁打王、2度目のMVP。通算3293安打(ニグロ・リーグ時代の10本を含む)、引退時点での660本塁打はルース、アーロンに次いで3位であった。
 こうした事蹟を並べただけでも史上有数の大選手であるのは明白だが、前述の通りメイズの魅力はプレーそのものにあった。
 彼自身が以下のように語っている。「野球選手はパフォーマーであり俳優。フライを追いかける時もファインプレーに見えるようにタイミングを計算していた」。その根底にあるのは「自分はファンのためにプレーしている。どの試合に訪れたファンにも、それまで見たことがないようなプレーを見せたい」とのサービス精神であった。

 当然ながら、後に続く世代の選手たちに与えた影響も絶大だった。バリー・ボンズにとってメイズは名付け親でもあり(父ボビーがジャイアンツでメイズの同僚だった)、ピッツバーグ・パイレーツ在籍時にはメイズの背番号である24番を背負った。ケン・グリフィー・Jr.の背番号もシアトル・マリナーズ時代は24で、メイズがそうだったように、グリフィーの全盛期には全米の野球少年が24番に憧れた。

 ボンズは「あなたの存在がどれだけ私にとって意味を持っていたか、言葉では表現できません。私が今あるのはあなたのおかげです」、グリフィーも「彼と一緒の時間を過ごせたことに感謝したい。グラウンドの内外で彼は真の巨人だった」と、それぞれ追悼のメッセージを寄せている。

 最後の2年間はニューヨークに戻ってメッツに所属。73年9月の引退セレモニーにおいてメイズが発した「ウィリー、アメリカにお別れの挨拶をする時がきた」の一節は、球史に残る名文句として語り継がれてきた。その半世紀後、今度はアメリカがウィリーに別れの挨拶をしたのである。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。

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