▼第3位:ダグ・ミントケイビッチ(2000年シドニー大会)
92年のバルセロナ大会から野球は正式種目に昇格し、同大会と96年アトランタの2大会連続でキューバが金メダル。アメリカは決勝にも進めずにいた。シドニー大会からはプロ選手の参加が認められたものの、代表はメジャーリーガーではなくマイナーリーグ選抜で構成された。ツインズ所属のミントケイビッチは、前年メジャーで118試合に出場していたが、この年は3Aに降格しており、シドニー行きのメンバーに加わった。
予選ラウンドの韓国戦で0対0の均衡を破る満塁本塁打を8回に放つと、準決勝で再び韓国と対戦。またしても2対2の同点で迎えた9回裏、今度はサヨナラ本塁打を叩き込んだ。大会を通じては29打数12安打8打点。メジャー再昇格後の04年にはレッドソックスで“バンビーノの呪い”を打ち破ってのワールドシリーズ優勝にも貢献したミントケイビッチだが、「人生最高の思い出は子供が生まれたことで、その次が金メダルを手にしたこと」と述べている。
▼第2位:ベン・シーツ(2000年シドニー大会)
準決勝までのヒーローはミントケイビッチだったが、決勝戦ではシーツがアメリカ国民の喝采を一身に浴びた。99年のドラフト1巡目10位でブルワーズに入団したシーツは、この年22歳、3A所属でメジャーは未経験だった。それでもオマール・リナレス、オレステス・キンデランといった名だたるキューバの強打者たちを、速球とカーブで圧倒。被安打3本、無四球で見事な完封勝利を収め、公式種目としては初となる金メダルをもたらした。 勝利の瞬間にはマウンドで両膝を突いてガッツポーズ。メジャーでも通算94勝と素晴らしいキャリアを送ったシーツだが、彼の野球人生で最も広く知られているのはこのシーンだろう。
▼第1位:ジム・ソープ(1912年ストックホルム大会)
ここまでの4人は、みな野球選手としてメダルを獲得している。当たり前ではないかと言われそうだが、メジャーリーガーで最高のオリンピアンであるソープが金メダルを得たのは陸上競技だった。そもそも彼は陸上選手であり、ストックホルムでは五種競技と十種競技で優勝。特にさまざまな種目で競う10種競技の頂点を極めるのはこの上ない栄誉で、スウェーデン国王から「世界最高のアスリート」との言葉を贈られた。
しかしながら、メダルはその後剥奪の憂き目に遭う。1909年にマイナーリーグに出場していたことが、アマチュア規定に違反するとの理由だった(82年に名誉は回復されメダルも返還)。だが、この処分がソープを本格的にプロスポーツの世界へ導く。13年にジャイアンツに入団、レギュラーには定着できなかったが6年間で289試合に出場、176安打を放った。アメリカン・フットボールでも活躍し、63年にプロフットボール殿堂の初代メンバーとなっている。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
【関連記事】大谷の特大弾が思い起こさせた伝説の強打者。ドジャー・スタジアム唯一の左打者場外本塁打を放った男は愛すべき“親父”<SLUGGER>
92年のバルセロナ大会から野球は正式種目に昇格し、同大会と96年アトランタの2大会連続でキューバが金メダル。アメリカは決勝にも進めずにいた。シドニー大会からはプロ選手の参加が認められたものの、代表はメジャーリーガーではなくマイナーリーグ選抜で構成された。ツインズ所属のミントケイビッチは、前年メジャーで118試合に出場していたが、この年は3Aに降格しており、シドニー行きのメンバーに加わった。
予選ラウンドの韓国戦で0対0の均衡を破る満塁本塁打を8回に放つと、準決勝で再び韓国と対戦。またしても2対2の同点で迎えた9回裏、今度はサヨナラ本塁打を叩き込んだ。大会を通じては29打数12安打8打点。メジャー再昇格後の04年にはレッドソックスで“バンビーノの呪い”を打ち破ってのワールドシリーズ優勝にも貢献したミントケイビッチだが、「人生最高の思い出は子供が生まれたことで、その次が金メダルを手にしたこと」と述べている。
▼第2位:ベン・シーツ(2000年シドニー大会)
準決勝までのヒーローはミントケイビッチだったが、決勝戦ではシーツがアメリカ国民の喝采を一身に浴びた。99年のドラフト1巡目10位でブルワーズに入団したシーツは、この年22歳、3A所属でメジャーは未経験だった。それでもオマール・リナレス、オレステス・キンデランといった名だたるキューバの強打者たちを、速球とカーブで圧倒。被安打3本、無四球で見事な完封勝利を収め、公式種目としては初となる金メダルをもたらした。 勝利の瞬間にはマウンドで両膝を突いてガッツポーズ。メジャーでも通算94勝と素晴らしいキャリアを送ったシーツだが、彼の野球人生で最も広く知られているのはこのシーンだろう。
▼第1位:ジム・ソープ(1912年ストックホルム大会)
ここまでの4人は、みな野球選手としてメダルを獲得している。当たり前ではないかと言われそうだが、メジャーリーガーで最高のオリンピアンであるソープが金メダルを得たのは陸上競技だった。そもそも彼は陸上選手であり、ストックホルムでは五種競技と十種競技で優勝。特にさまざまな種目で競う10種競技の頂点を極めるのはこの上ない栄誉で、スウェーデン国王から「世界最高のアスリート」との言葉を贈られた。
しかしながら、メダルはその後剥奪の憂き目に遭う。1909年にマイナーリーグに出場していたことが、アマチュア規定に違反するとの理由だった(82年に名誉は回復されメダルも返還)。だが、この処分がソープを本格的にプロスポーツの世界へ導く。13年にジャイアンツに入団、レギュラーには定着できなかったが6年間で289試合に出場、176安打を放った。アメリカン・フットボールでも活躍し、63年にプロフットボール殿堂の初代メンバーとなっている。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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