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NBA

「ブルズでジョーダンとプレーすると思っていた。でも……」マッグレディが明かす1997年ドラフトの舞台裏

ダンクシュート編集部

2020.04.23

マッグレディは2度の得点王に輝くなどスター選手に成長を遂げたが、デビュー当時は18歳。もしブルズに入団していたら、ピッペンの代役を務めることはできただろうか。(C)Getty Images

マッグレディは2度の得点王に輝くなどスター選手に成長を遂げたが、デビュー当時は18歳。もしブルズに入団していたら、ピッペンの代役を務めることはできただろうか。(C)Getty Images

「俺も関わっていたことだけど、97年にジェリー・クラウスがピッペンをトレードしたがっていたということが一番印象的だった。82試合全勝でも、彼はチームを解体するつもりだった。俺が思うのは、2年連続で優勝して3連覇を目指していたのに、なぜ解体したかったのか。俺は勝つこと、チャンピオンシップを手にすることがすべてだと思っている。ここにクラウスはいないから彼は自己弁護することはできないけどね」

 97年6月25日、シャーロットで開催されたドラフトのグリーンルーム(1巡目指名が濃厚な選手たちが、家族や関係者と待機する“VIP部屋”)で、マッグレディは交渉の幕が下ろされたことを知らされたという。
 
「ドラフトの数時間前に俺はシカゴに向かい、メディカル検査を受けると同時に、クラウスと様々なことを話し合った。彼はドラフト当日、俺を本気で獲得しようとしていたけど、ジョーダンがそれを止めたんだ」

 ジョーダンが相棒のピッペン放出に関する交渉を打ち切らせたことで、三銃士はもう一年共闘することになった。ブルズ最初の3連覇メンバーであるBJ・アームストロングは、「MJには新たなチームメイトとやり直す時間がなかった。彼はキャリアの終わりにいたからね」と、ジョーダンの34歳という年齢がその行動に関係していたと推察している。

 もしピッペンと、その後オールスター選手になったマッグレディがトレードされていたら――。後世に語り継がれる“ラストダンス”とは異なるシナリオは、果たして人々に受け入れられていただろうか。

構成●ダンクシュート編集部

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