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海外サッカー

「理に適った補強」「完璧な組み合わせ」 エムバペのマドリー移籍を現地メディアやOBらは大歓迎! 一方でフランス・サッカー界の今後への懸念も

THE DIGEST編集部

2024.06.04

 一方、エムバペを失うことになったパリSG。彼が契約延長のオプションを行使しないことを表明してからは、関係悪化が囁かれ、クラブが4月の給与を支払わなかったとのニュースも流れたが、マドリー移籍が決定的とされていた先月末、ナセル・アル・ケライフィ会長は米放送局『CNN』で「キリアンの幸運を祈っている。彼は7年間、我々のために素晴らしい活躍をしてくれた。私は、彼の野心を知っている。彼は別のリーグで新しい経験をしたかったのであり、そうする権利がある」と理解を示すコメントを残した。

 もっとも、フランス代表OBのエマニュエル・プチのように「もうウンザリだ。彼はキャリアの最初の頃のように謙虚さを持つべきだ」と、今回のエムバペの移籍に対して以前から不快感を示していた者は、特にフランスでは少なくない。かつてフランス代表監督を務めたレイモン・ドメネクは、スポーツ紙『L’EQUIPE』で「リーグが立ち直れなくなるということではないが、これはブレーキだ」と、エムバペの“流出”がリーグアンの注目度を低下させることを懸念する。

これについて『L’EQUIPE』紙は以前、過去にフランスのトップスターの海外進出が国内にいかなる影響を与えたかを、“将軍”ミシェル・プラティニが1982年にサンテティエンヌからイタリアのユベントスに移籍した際のことを例に紹介している。

 フランス・サッカーでは、リーグの規模の問題から、国外に出てから選手として大成するのがほとんどだが(ジネディーヌ・ジダンもそのひとり)、ジャン=ピエール・パパンのようにマルセイユ在籍時の1991年にバロンドールを受賞した珍しいケースもわずかにあり、プラティニも1977年(ナンシー所属)、80年(サンテティエンヌ)とバロンドールで3位の得票を受けるなどの実績を誇り、すでにフランス・サッカーの象徴と捉えられていた。
 
 1977年にはすでにイタリア、イングランドのクラブへの移籍が噂されながらも国内に留まったプラティニが、2年後にインテルの強い誘いを受けた際、いよいよフランス・サッカー界には重苦しい雰囲気が漂い、国内メディアによるアンケートでは94.07%の回答者が移籍に反対の意思を示したという。

 これを受け、1982年までさらにフランスでのプレーを継続したプラティニだったが、移籍前の最後のシーズンでは試合中にスタンドから罵声や侮辱の言葉を浴び、前半でプレーを止めたこともあった。当時同国代表を率いていたミシェル・イダルゴは後に、「我々は宝石を有していたが、彼への扱いは必ずしも良いものではなかった」と当時を振り返っている。

 プラティニはイタリアに渡ると、最初の数か月はカルチョへの適応に苦しむも、このシーズンから3年連続でセリエA得点王に輝き、またバロンドールも1983年から3年連続で受賞する快挙を達成。1984年には自国開催のEUROで9ゴール(しかも全5試合で決勝点をゲット)を挙げる大活躍を披露し、母国に初のビッグタイトルをもたらしたが、彼はイタリアでの経験が最高の形で活かされたと強調したものである。

 果たしてエムバペのマドリー移籍は、彼の価値をどれだけ高めることになるのか。そして、彼の国外流出がフランス・サッカーにどのような影響を与えるのかも、非常に興味深い。

構成●THE DIGEST編集部

【画像】「夢が叶った」14歳の頃、マドリーのトレーニングに招待されたときの写真を自身のSNSに
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