今年4月下旬に行なわれた「サバンナ・チャレンジャー」(アメリカ/クレーコート/CH75)2回戦で敗退。直後の5月1日に自身のSNSで「やり切ったと言える」と、今季限りでの現役引退を発表した錦織圭。
日本時間の今月28日早朝に実施された「ムバダラDCオープン」(7月27日~8月2日/アメリカ・ワシントンDC/ハードコート)では約3カ月ぶりに戦線復帰を果たし、1回戦でシャン・ジュンチャン(中国/元47位・現270位)を逆転で下して2回戦へ駒を進めた。
そんな錦織が7月下旬、本拠地の米国フロリダで『WOWOW』のインタビューに応じ、引退決断の裏側や現在の心境、そして現役ラストシーズンへの思いを語った。こここではオンエアに先駆けて、その内容をお伝えしよう。
◆ ◆ ◆
Q:引退を発表しましたが、引退を決断した瞬間について教えてください。
「最初にあれって思ったのは、去年のシンシナティ(アメリカ/ATP1000)の1回戦で久しぶりに復帰した時です。その試合は、リズムもボールの感覚も何もない、自分の中では過去最低くらいの悪い試合でした。その時に、これまでもケガで休んで大変だったけど、これからまた早くても半年、長ければ1年以上、自分のテニスを取り戻すのにかかるのを考えると、ここからまた1年かというのがすごくありました。
そこから、日本のチャレンジャー(下部大会)などでプレーしながら、なかなか戻ってこられないなとか思いつつ、(引退を)決断したのは、ちょっと曖昧ですけど2月ぐらいですかね。1月の全豪オープンの前週の大会(オーストラリア/チャレンジャー)の時は結構体調も良く、やっと試合でちゃんとしたプレーができるなって思ったところで、大会2日前にまたケガをしちゃって。それで、その後の全豪も出られなくてっていうのがちょっとずつ重なって、そこら辺で心身ともにもう耐えきれなくなりました。
ダムの大きな壁が決壊して、色んな思いがバーってきて。心身ともに多分疲れていたし、ここから1年また頑張れるのかって考えた時に厳しいなって。それと、身体もこの3、4年ぐらいですかね、ずっと痛い所があって、満足いくプレーができなくて、どこかを庇いながら試合をしていました。練習もろくにできないので、本当は1日に2、3時間練習したくてもに、やっぱり1時間とかしかできなくて。このローテーションをずっと3年くらい続けて、どうにか治療とかトレーニングもしていましたけど、やっぱり戻って来られないかっていうのが、なんとなく決め手にはなりましたかね。それが2月ぐらいだったと思います」
Q:その時に抱えていた思いは誰かと共有していましたか?
「基本、1人で悩んでいましたね。あんまり相談するタイプでもなく、誰にも言わないタイプなので、親とか家族とかにも基本相談ごとはしなかったです。しないというかできないというか、自分で抱え込んじゃうタイプなので。1回、コーチの(トーマス・)ヨハンソンとケガで色々とできないっていう時に、泣きながらこう話し合いをしていた時はありましたね。それぐらい心にきていましたね」
Q:これまでつらくても、自分の感情にふたをして乗り切っている時期もあったかと思います。その過程を経て、もう限界ということでしょうか?
「そうですね。でも、今までは本当に不思議なことに、こんなにきつい修行をして、ケガがありながらも辞めたいと思ったことは1回もなかったです。もしかしたら引退するのかなって頭をよぎったのが、たぶん初めてでした。それまでは、逆にいつ辞められるんだろうなって、何人かに相談していたので。そのくらい練習も苦じゃなかったし、トレーニングとかジムに行くのも、練習コートに来るのも、もちろん遠征に出るのも別に苦ではなかったです。結果ももちろん出てないしずっとケガもしてるので、どんどんランキングは下がっていくんですけど、楽しんでいたと思います。ケガしていようが、自分が疲れるまではやろうと思っていたので、それが一気に去年きたと思います」
日本時間の今月28日早朝に実施された「ムバダラDCオープン」(7月27日~8月2日/アメリカ・ワシントンDC/ハードコート)では約3カ月ぶりに戦線復帰を果たし、1回戦でシャン・ジュンチャン(中国/元47位・現270位)を逆転で下して2回戦へ駒を進めた。
そんな錦織が7月下旬、本拠地の米国フロリダで『WOWOW』のインタビューに応じ、引退決断の裏側や現在の心境、そして現役ラストシーズンへの思いを語った。こここではオンエアに先駆けて、その内容をお伝えしよう。
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Q:引退を発表しましたが、引退を決断した瞬間について教えてください。
「最初にあれって思ったのは、去年のシンシナティ(アメリカ/ATP1000)の1回戦で久しぶりに復帰した時です。その試合は、リズムもボールの感覚も何もない、自分の中では過去最低くらいの悪い試合でした。その時に、これまでもケガで休んで大変だったけど、これからまた早くても半年、長ければ1年以上、自分のテニスを取り戻すのにかかるのを考えると、ここからまた1年かというのがすごくありました。
そこから、日本のチャレンジャー(下部大会)などでプレーしながら、なかなか戻ってこられないなとか思いつつ、(引退を)決断したのは、ちょっと曖昧ですけど2月ぐらいですかね。1月の全豪オープンの前週の大会(オーストラリア/チャレンジャー)の時は結構体調も良く、やっと試合でちゃんとしたプレーができるなって思ったところで、大会2日前にまたケガをしちゃって。それで、その後の全豪も出られなくてっていうのがちょっとずつ重なって、そこら辺で心身ともにもう耐えきれなくなりました。
ダムの大きな壁が決壊して、色んな思いがバーってきて。心身ともに多分疲れていたし、ここから1年また頑張れるのかって考えた時に厳しいなって。それと、身体もこの3、4年ぐらいですかね、ずっと痛い所があって、満足いくプレーができなくて、どこかを庇いながら試合をしていました。練習もろくにできないので、本当は1日に2、3時間練習したくてもに、やっぱり1時間とかしかできなくて。このローテーションをずっと3年くらい続けて、どうにか治療とかトレーニングもしていましたけど、やっぱり戻って来られないかっていうのが、なんとなく決め手にはなりましたかね。それが2月ぐらいだったと思います」
Q:その時に抱えていた思いは誰かと共有していましたか?
「基本、1人で悩んでいましたね。あんまり相談するタイプでもなく、誰にも言わないタイプなので、親とか家族とかにも基本相談ごとはしなかったです。しないというかできないというか、自分で抱え込んじゃうタイプなので。1回、コーチの(トーマス・)ヨハンソンとケガで色々とできないっていう時に、泣きながらこう話し合いをしていた時はありましたね。それぐらい心にきていましたね」
Q:これまでつらくても、自分の感情にふたをして乗り切っている時期もあったかと思います。その過程を経て、もう限界ということでしょうか?
「そうですね。でも、今までは本当に不思議なことに、こんなにきつい修行をして、ケガがありながらも辞めたいと思ったことは1回もなかったです。もしかしたら引退するのかなって頭をよぎったのが、たぶん初めてでした。それまでは、逆にいつ辞められるんだろうなって、何人かに相談していたので。そのくらい練習も苦じゃなかったし、トレーニングとかジムに行くのも、練習コートに来るのも、もちろん遠征に出るのも別に苦ではなかったです。結果ももちろん出てないしずっとケガもしてるので、どんどんランキングは下がっていくんですけど、楽しんでいたと思います。ケガしていようが、自分が疲れるまではやろうと思っていたので、それが一気に去年きたと思います」




