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【レジェンドの素顔11】北欧の涼風を感じさせる男、ステファン・エドバーグ│中編

立原修造

2023.01.01

エドバーグは“理由なき反抗”とは無縁で内気な少年だった。写真:THE DIGEST写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ステファン・エドバーグについて取り上げよう。

   ◆  ◆  ◆

ラリーこそがコミュニケーション

 エドバーグは1966年1月、北海沿いにあるスウェーデン南部のバステルビクで生まれた。この町はストックホルムの南280キロにあり、夏の保養地として有名な所。人口は2万3千人だ。

 エドバーグの父は警察署員だった。スウェーデンに限らずどこの国でもそうだが、小さな町へ行けば行くほど、警察署員や教員は特別な存在として一目置かれる。逆にいえば、ちょっとした不始末が町の噂になり命取りになりかねない。それだけ自分を厳しく律せざるをえないわけで、厳格な人が多い。

 そうした厳格さの中でエドバーグは育った。しかし、父のベンクトはむやみに叱ったりはしなかった。


「社会のルールを守れ。人に迷惑をかけてはいけない」

 ベンクトはエドバーグを、スウェーデンの規格に合った人間に育てようとした。ベンクトの意に逆らうことなく、エドバーグは忠実に育った。

「学校でも行儀は良かったし、勉強も言われなくても自分からしたくらいだった」

 エドバーグは少年時代の自分のことをそう言う。実に、優等生すぎる言葉である。
 
 エドバーグは、"理由なき反抗"とは無縁であった。しかし、相当内気な少年になっていた。

「僕は、小さい頃から内気だった。今でこそ色々な場所へ行って、たくさんの人と会うようになったので以前より良くなったけど、小さい頃は人とはあまりうまく言葉を交わせなかった」

 内向的な性格が災いして、友達とも気軽に遊べなかったエドバーグは、やがてテニスにのめりこむようになった。テニスをしていると心が解放されていく気分になれたからだ。

 テニスは個人スポーツである。しかし、相手がいなくてはできない。この"相手"という存在に意味があるのだ。

 言葉をうまく返すことはできなくても、ボールを返すことはできる。相手の打ったボールを確実にラケットで受け止め、再び相手に送ってやる。ラリーを続けていると、不思議な連帯感で胸がいっぱいになることがよくあった。

 エドバーグにとって、ラリーこそがコミュニケーションだった。ボールがネットを越えて行ったり来たりする時、素晴らしい会話以上の手応えを彼は感じた。

 もしエドバーグが、日常生活でも雄弁だったら、ここまでテニスに打ちこめたかどうか疑問である。同じスポーツでも、サッカーやアイスホッケーに興味を移していたかもしれない。

~~後編に続く~~

文●立原修造
※スマッシュ1987年6月号から抜粋・再編集
(この原稿が書かれた当時と現在では社会情勢等が異なる部分もあります)

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