ひとつの時代が終わった。度重なるケガを克服してきた“不屈の男”として知られるホアン・マルティン・デルポトロ(アルゼンチン/33歳)の名前が、6月20日に発表されたテニスの世界ランキングから消えたのである。
元世界3位のデルポトロが獲得した最後のランキングポイントは、2019年6月の「クイーンズ大会」(イギリス・ロンドン)でデニス・シャポバロフ(カナダ)を破った際に得た23ポイントのみ。これによって6月13日までは世界761位をキープしていたが、翌週の20日になってこれが全て消滅したためにポイントがゼロとなり、ランキングの対象外となったのである。
身長198センチ・体重97キロという恵まれた身体を駆使したダイナミックなプレーによって、2005年のプロデビューから現在までに22のタイトルを獲得。その中にはロジャー・フェデラーとの激闘の末に手にした2009年の全米オープンも含まれている。
だが、酷使された身体は故障も多かった。2010年の右手首をはじめ、14年から15年にかけては左手首を3度手術。過酷なリハビリを経てその都度復帰を果たすも、18年には右ヒザを骨折。19年にはコートに戻ってくるも、前述したクイーンズ大会で再び右ヒザを骨折し、以降は長期離脱を強いられた。
今年2月に「さよならを言う機会もなく引退するなんて想像はできなかった」との理由で、右ヒザはボロボロの状態だったものの、母国開催の「アルゼンチン・オープン」に主催者推薦で出場。約2年半ぶりとなった試合では、同胞で友人でもあるフェデリコ・デルボニス(アルゼンチン/42位)と対戦し、1-6、3-6で敗れた。
試合後、「今日は過去からの脱却の日だ。今は生活のために、日々のために、ヒザを大切にしなければならない。でも、テニスの窓は開けておくつもりだ」と語っていたデルポトロ。アルゼンチンのメディア『LA NACION』では、今後はスイスのスポーツ専門病院での治療を計画中とも報じている。これが真実であれば、戦線復帰の可能性も残されている。
2004年5月24日に1415位からスタートしたデルポトロのランキングは18年を経て消滅したが、“不屈の男”はまだ諦めていないかもしれない。
構成●スマッシュ編集部
【PHOTO】全米OP優勝、リオ五輪銀メダル獲得など輝かしい功績を残したデルポトロのキャリアを厳選ショットで紹介!
元世界3位のデルポトロが獲得した最後のランキングポイントは、2019年6月の「クイーンズ大会」(イギリス・ロンドン)でデニス・シャポバロフ(カナダ)を破った際に得た23ポイントのみ。これによって6月13日までは世界761位をキープしていたが、翌週の20日になってこれが全て消滅したためにポイントがゼロとなり、ランキングの対象外となったのである。
身長198センチ・体重97キロという恵まれた身体を駆使したダイナミックなプレーによって、2005年のプロデビューから現在までに22のタイトルを獲得。その中にはロジャー・フェデラーとの激闘の末に手にした2009年の全米オープンも含まれている。
だが、酷使された身体は故障も多かった。2010年の右手首をはじめ、14年から15年にかけては左手首を3度手術。過酷なリハビリを経てその都度復帰を果たすも、18年には右ヒザを骨折。19年にはコートに戻ってくるも、前述したクイーンズ大会で再び右ヒザを骨折し、以降は長期離脱を強いられた。
今年2月に「さよならを言う機会もなく引退するなんて想像はできなかった」との理由で、右ヒザはボロボロの状態だったものの、母国開催の「アルゼンチン・オープン」に主催者推薦で出場。約2年半ぶりとなった試合では、同胞で友人でもあるフェデリコ・デルボニス(アルゼンチン/42位)と対戦し、1-6、3-6で敗れた。
試合後、「今日は過去からの脱却の日だ。今は生活のために、日々のために、ヒザを大切にしなければならない。でも、テニスの窓は開けておくつもりだ」と語っていたデルポトロ。アルゼンチンのメディア『LA NACION』では、今後はスイスのスポーツ専門病院での治療を計画中とも報じている。これが真実であれば、戦線復帰の可能性も残されている。
2004年5月24日に1415位からスタートしたデルポトロのランキングは18年を経て消滅したが、“不屈の男”はまだ諦めていないかもしれない。
構成●スマッシュ編集部
【PHOTO】全米OP優勝、リオ五輪銀メダル獲得など輝かしい功績を残したデルポトロのキャリアを厳選ショットで紹介!