18歳になるとATPツアーにも出場。
初優勝することになる2008年のデルレイビーチは、予選からの出場であった。当時の錦織にとっては本戦に出るだけで大変なので、彼自身も予選突破で十分だと考えていた。
だが、本戦に上がると接戦を制しながら決勝へと駒を進めた。
当時、錦織の世界ランクは244位で、決勝の相手ジェームズ・ブレークは12位。決勝の第1セットをブレークが先取した時は、誰も錦織が勝てるとは思ってもいなかった。
ところが、そこから逆転して松岡修造以来の日本男子16年ぶりのツアー優勝を達成する。勝因について聞かれた錦織は、
「自分ではあり得ないぐらい落ち着いていた。アップダウンもなかったし、ミスに怒って自分を見失うこともなかった」
さらに技術的な進歩について聞かれると、
「無駄なショットがなくなったこと。守るだけではなく、攻めながらもミスをしないというテニスを目指していた。それがすごく良くなってきたと思う」
と自己分析した。
決勝で敗れたブレークは、錦織が放つ『エア・ケイ』について「実戦であんなに決められるのはすごい」と驚いたが、それは錦織の目指すテニスができていた証拠とも言えるだろう。
「テニスはエキサイティング。身体が小さくてもトップ選手になれるんだから」
この優勝を自信に変え、さらに実績を上げていくことになる、錦織が今から12年前に発した言葉である。
※月刊スマッシュ2019年11月号から抜粋・再編集
【PHOTO】錦織圭、19年シーズンの4大大会を奮闘した厳選ギャラリー!!
初優勝することになる2008年のデルレイビーチは、予選からの出場であった。当時の錦織にとっては本戦に出るだけで大変なので、彼自身も予選突破で十分だと考えていた。
だが、本戦に上がると接戦を制しながら決勝へと駒を進めた。
当時、錦織の世界ランクは244位で、決勝の相手ジェームズ・ブレークは12位。決勝の第1セットをブレークが先取した時は、誰も錦織が勝てるとは思ってもいなかった。
ところが、そこから逆転して松岡修造以来の日本男子16年ぶりのツアー優勝を達成する。勝因について聞かれた錦織は、
「自分ではあり得ないぐらい落ち着いていた。アップダウンもなかったし、ミスに怒って自分を見失うこともなかった」
さらに技術的な進歩について聞かれると、
「無駄なショットがなくなったこと。守るだけではなく、攻めながらもミスをしないというテニスを目指していた。それがすごく良くなってきたと思う」
と自己分析した。
決勝で敗れたブレークは、錦織が放つ『エア・ケイ』について「実戦であんなに決められるのはすごい」と驚いたが、それは錦織の目指すテニスができていた証拠とも言えるだろう。
「テニスはエキサイティング。身体が小さくてもトップ選手になれるんだから」
この優勝を自信に変え、さらに実績を上げていくことになる、錦織が今から12年前に発した言葉である。
※月刊スマッシュ2019年11月号から抜粋・再編集
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