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海外テニス

女子テニス界を激変させた50年前の「WTA創設」!あの時ロンドンのホテルで何が起きていたのか<SMASH>

内田暁

2023.07.02

WTAの創設は当時高校生だったアン・キヨムラさんの人生を大きく変えたという(写真はWTA50周年祝賀会出席時)。写真=内田暁

WTAの創設は当時高校生だったアン・キヨムラさんの人生を大きく変えたという(写真はWTA50周年祝賀会出席時)。写真=内田暁

 50周年祝賀会に参席したキヨムラは、「まだ高校生だった当時の私は、『卒業したら秘書になったらいい』と先生から言われていたんです」と明かす。

 テニスと並びピアノを習っていたためだろうか、「タイピング技術が高かった」という彼女に周囲が秘書を勧めたのは、もちろん、善意からだろう。ただ、当時既にアメリカ国内のタイトルを総なめにしていた小柄なアジア系のテニス少女にとって、「秘書は、あまりエキサイトな仕事だとは感じなかった」と笑う。

 国内チャンピオンになったため、米国の代表として出場の機を得たウインブルドン・ジュニア。その時のその地は奇しくも、WTAという新組織が今まさに生まれたばかりで、明るい未来への希望と熱に満ちていた。
 
「ウインブルドン・ジュニアに出た時、両親に言われたんです。あなたはこれからテニスをすることで収入を得て、世界中の色んな土地を旅しながらテニスができるのよ、って」
 
 秘書ではなくプロテニス選手となったキヨムラが、沢松和子と組みウインブルドン女子ダブルスを制したのは、それから2年後の1975年のことである。

「私たちが優勝したことで、アメリカに居る多くのアジア系の子どもたちが、テニスをするようになりました。親も子どもたちの成功の道として、勉強だけでなく、アスリートもあり得ると信じるようになりました。アジア人の間でテニスブームが起き、同じことは日本でも沢松さんのお陰で起きたと聞いています」

 柔らかな笑みを浮かべて、キヨムラが回想した。

 ビリー・ジーン・キングが、恐れを乗り越え踏み出した一歩は、国や人種も越え多くの人々に夢を与えた。

現地取材・文●内田暁

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