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国内テニス

マッケンローを見てネットプレーを志したジュニア時代。ストローク全盛の今日、思うこと~森井大治【プロが憧れたプロ|第13回】

渡辺隆康(スマッシュ編集部)

2020.12.13

ネット主体の森井大治のテニスは、80年ウインブルドンでのマッケンローのプレーから影響を受けた。写真:スマッシュ写真部

ネット主体の森井大治のテニスは、80年ウインブルドンでのマッケンローのプレーから影響を受けた。写真:スマッシュ写真部

 現在、プロとして活躍している選手も、現役を引退してコーチをしている人も、小さい頃には憧れのプロがいたはずだ。【プロが憧れたプロ】シリーズの第13回は、1990年代に活躍した森井大治氏に話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

 森井大治は1967年生まれ。松岡修造と同い年であり、ジュニア時代はライバルでもあった。2人が戦った82年の全国中学決勝は、ヘビースピンの松岡とスライスの森井のテニスが好対照を描き、あたかもボルグ対マッケンローを思わせるようなラリーが展開された。

 そのスタイルからも察しがつくように、森井が子どもの頃に憧れたプロはジョン・マッケンローである。当時の低年齢のジュニアといえば、後ろで粘って相手のミスを待つのが常識。森井は80年ウインブルドン決勝のマッケンローをテレビで見て、「ああやってボレーで決めるのもアリなんだ!」と、目から鱗が落ちたという。

 とはいえ、小中学生がマッケンローを真似て、全てサービスダッシュするのは無理がある。森井は、だんだん身体ができて、力も付いてきた中学終盤から、積極的にサーブ&ボレーを増やし、自分のテニスを固めていった。「高校からはマッケンローを参考にリターンダッシュもしたし、大学ではほとんどストロークを打った記憶がない」というほどだ。
 
 森井が大学を出てプロになった頃、世はサーブ&ボレー全盛時。彼と同世代にはエドバーグやベッカーがいて、少し下にはサンプラスやラフターらキラ星のごときサーブ&ボレーヤーが覇を競っていた。森井も日本選手随一と言われたネットプレーをひっさげ、ウインブルドンや全豪オープンの予選に挑み、30代中盤まで選手活動を続けた。

 しかし――あれから20数年経った今、サーブ&ボレーはすたれ、オールドスタイルとまで言われるようになってしまった。現在は日本体育大学監督として後進を指導する森井には、それが残念でならない。「ラケットが進化して、リターンやストロークがこれだけ強力になれば、サーブ&ボレーが減るのは仕方ないことだけど…」

 ただ、歴史は繰り返すものだとも森井は考えている。かつて60~70年代にはサーブ&ボレーが強さを発揮し、それを打ち破るボルグなどのストローカーが現れ、それをベッカーらサーブ&ボレーヤーが凌駕し、そして今、ストローカーが覇権を握る。森井はそんな歴史を顧みつつ、「皆あれだけ後ろに下がってリターンしているんだから、もっとサーブ&ボレーすれば有効なはず。またネットで勝てるようになるチャンスはあると思う」と分析する。

「もっとボレーを使ってほしいし、使わなくてはいけない」――そんな思いを胸に秘めながら、森井は今日も学生たちを指導する。

取材・文●渡辺隆康(スマッシュ編集部)

【PHOTO】森井が憧れ、参考にしたマッケンローのボレーの分解写真
 

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