世界で一番売上げの多いレースとして知られる有馬記念。昨年、27年ぶりに700億円台を回復したことが話題になったが、実はそのはるか上をいく記録が残っている。それはバブル景気が弾け、オグリキャップの登場を契機として空前の盛り上がりを見せた第二次競馬ブームがピークに達した1996年のこと。実に875億104万2400円という狂気じみた数字が叩き出されているのだ。そして、その年のグランプリレースを制したのが、一世を風靡した巨星の陰に隠れ、しかし確かな足跡を残した名馬サクラローレルである。
サクラローレルの血統的源流は欧州にある。“サクラ”の冠号で知られる㈱さくらコマースの代表で、馬主の全演植は1990年代の初頭、凱旋門賞を制することをテーマに、フランスへ競走馬の買い付けに訪れる。そのとき購買したなかにローラローラと名付けられたサンシリアン(Saint Cyrien)産駒の牝馬が含まれており、彼女はフランスで6戦1勝という成績を残して現地で繁殖入り。その後、凱旋門賞馬であるレインボークエスト(Rainbow Quest)の仔を受胎した状態で日本へ移動。1991年5月に、日本ダービー馬サクラチヨノオーを生産するなど“サクラ”と関係が深い北海道・静内町(現・新ひだか町)の谷岡牧場で産み落とす。この栃栗毛の牡馬が、のちのサクラローレルである。
2歳になって“サクラ”のメインステーブルである境勝太郎厩舎に入ったサクラローレルだが、足元に不安を抱え、仕上がりが遅れたため、デビューは3歳の1月までずれ込んだ。新馬戦、折り返しの新馬戦(いずれも芝1600m)で連敗したのち、ダート1400mの未勝利戦で初勝利を挙げた彼は、さらに芝、ダートでの2連敗をはさんで、2勝目を挙げたのはダートの1800m戦だった。
そして次走ではダービートライアルの青葉賞(GⅢ)に臨み、後方から鋭い末脚で追い込んで勝ったエアダブリンから0秒1差の3着に健闘して優先出走権を得た。しかし押せ押せで使った影響か、デビュー前から悩まされていた左前肢の球節に炎症を起こし、日本ダービーへの出走を回避して放牧休養に入った。
戦列に復帰したのは9月のこと。条件クラスからの再出発となったが、いいレースはするものの、なかなか勝ち切るところまではいかなかったが、11月の900万下(現2勝クラス)、12月の1500万下(現3勝クラス)の特別戦を連勝してオープン入り。すると年が明けて1月のGⅢ金杯(東)で2着に2馬身半差を付けて快勝して初の重賞制覇を達成。次走の目黒記念(GⅡ)でも僅差の2着に入った。
いよいよ念願の大舞台、GⅠの天皇賞(春)へ駒を進めることが決まり、栗東トレーニング・センターへ移動して調整を続ける彼を悲劇が襲う。調教中に両前肢を骨折したのである。診断は「両前脚第三中手骨々折」という重傷で、獣医師からは競走能力喪失に等しいと伝えられたという。
サクラローレルの血統的源流は欧州にある。“サクラ”の冠号で知られる㈱さくらコマースの代表で、馬主の全演植は1990年代の初頭、凱旋門賞を制することをテーマに、フランスへ競走馬の買い付けに訪れる。そのとき購買したなかにローラローラと名付けられたサンシリアン(Saint Cyrien)産駒の牝馬が含まれており、彼女はフランスで6戦1勝という成績を残して現地で繁殖入り。その後、凱旋門賞馬であるレインボークエスト(Rainbow Quest)の仔を受胎した状態で日本へ移動。1991年5月に、日本ダービー馬サクラチヨノオーを生産するなど“サクラ”と関係が深い北海道・静内町(現・新ひだか町)の谷岡牧場で産み落とす。この栃栗毛の牡馬が、のちのサクラローレルである。
2歳になって“サクラ”のメインステーブルである境勝太郎厩舎に入ったサクラローレルだが、足元に不安を抱え、仕上がりが遅れたため、デビューは3歳の1月までずれ込んだ。新馬戦、折り返しの新馬戦(いずれも芝1600m)で連敗したのち、ダート1400mの未勝利戦で初勝利を挙げた彼は、さらに芝、ダートでの2連敗をはさんで、2勝目を挙げたのはダートの1800m戦だった。
そして次走ではダービートライアルの青葉賞(GⅢ)に臨み、後方から鋭い末脚で追い込んで勝ったエアダブリンから0秒1差の3着に健闘して優先出走権を得た。しかし押せ押せで使った影響か、デビュー前から悩まされていた左前肢の球節に炎症を起こし、日本ダービーへの出走を回避して放牧休養に入った。
戦列に復帰したのは9月のこと。条件クラスからの再出発となったが、いいレースはするものの、なかなか勝ち切るところまではいかなかったが、11月の900万下(現2勝クラス)、12月の1500万下(現3勝クラス)の特別戦を連勝してオープン入り。すると年が明けて1月のGⅢ金杯(東)で2着に2馬身半差を付けて快勝して初の重賞制覇を達成。次走の目黒記念(GⅡ)でも僅差の2着に入った。
いよいよ念願の大舞台、GⅠの天皇賞(春)へ駒を進めることが決まり、栗東トレーニング・センターへ移動して調整を続ける彼を悲劇が襲う。調教中に両前肢を骨折したのである。診断は「両前脚第三中手骨々折」という重傷で、獣医師からは競走能力喪失に等しいと伝えられたという。




