ペルージャで2シーズンを過ごした後、石川祐希は移籍を決断した。
最終的に日本代表キャプテンが選んだ新天地はトルコ。2026-27シーズンから石川はジラート・バンク・アンカラのユニホームを身にまとい、年俸約80万ユーロ(約1.5億円)を稼ぐことになる。彼はポーランドに戻るトマシュ・フォルナルの後任となる予定だ。
ジラートはトルコ屈指の強豪で、ペルージャが制した今シーズンのチャンピオンズリーグを3位で終えている。20年から24年まで石川がプレーし、リーグ準優勝も果たしたことのあるパワーバレー・ミラノも獲得に動いたが、争奪戦に勝利したのはジラートだった。
こうして石川はペルージャを去ることになった。彼とチームとの関係はこの2年の間に徐々に変化していった。最初は相思相愛の関係だったが、その後は厳しい時間もあった。今年2月に右膝を負傷してしまい、シーズン終盤に復帰したが、十分な出場機会は巡ってこなかった。
24年夏に加入した石川は、フィレンツェで行なわれたトレンティーノとのスーパーカップ決勝で活躍を見せてタイトルを手繰り寄せ、すぐにチームの中心選手となった。石川は新たな飛躍をし、ペルージャサポーターは新たな寵児を見つけた。そのように見えた。
日本語で「石川」と記された背番号14のTシャツは飛ぶように売れた。クラブのグッズは日本のファンによって争奪戦となり、日本から訪れる人々によるチケットや年間シートの購入も増え、石川はクラブの収益に大きく貢献した。
しかし時が経つにつれ、アンジェロ・ロレンツェッティ監督は、ポーランドのカミル・セメニウクやウクライナのオレフ・プロトニツキを優先して起用するようになり、石川の出場機会は減っていった。
こうした経緯もあってクラブ側は契約延長を見送り、石川側は新たな道を進むことを決心した。行先は近年、台頭著しいトルコリーグだ。というのも石川は日本代表の絶対的主力。今後の代表戦に備え、より多くの出場機会を求めるのは当然だ。来夏にはポーランドでの世界選手権が控えているし、その翌年の28年にはロサンゼルス五輪が待っている。
ちなみにトルコは妹・石川真佑の新天地でもある。2シーズンを過ごしたノバーラを後にし、イタリア人のジューリオ・ブレゴーリ監督が率いるイスタンブールのエジザージュバシュへと移籍する。
成績やコートでの活躍以外でも、石川祐希はペルージャのロッカールームに素晴らしい思い出を残している。とくに数人の選手とは親友といってもいい間柄となった。中でもプロトニツキや若手のニコラ・チャンチョッタ、かつてミラノでともにプレーしたアルゼンチンのアグスティン・ロセルとは特別な絆で結ばれた。
30歳となった石川の、イタリアでの冒険がこれで幕を閉じる。14年のモデナから始まり、ラティーナ(16~18シーズン)、パドバ(18-19シーズン)、シエナ(19-20シーズン)を経て、ミラノ(20~24シーズン)で頭角を現わし、ペルージャで幕を閉じるまで彼は、イタリアバレー界で活躍した。
トルコで石川は最も年俸の高い選手のひとりとなり、所属するジラートは非常に野心的なチーム。チームメイトには、フランスのトレボール・クレブノやオランダのニミル・アブデル=アジズもいる。
それにしても西田有志や高橋藍に続いてまたひとり、素晴らしい思い出とともに日本のスターがイタリアバレー界を後にするのは、少し寂しい気がする。ペルージャのサポーターも、その穏やかな人柄と親しみやすさから、石川を深く愛していた。
文●ダビデ・ロマーニ
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】ダビデ・ロマーニ(Davide Romani)/1978年1月24日、イタリアのクレモナ生まれ。大学では国際関係・外交学専攻。2007年から大手スポーツ紙『La Gazzetta dello Sport』の記者としてバレーボール、バスケットボール、自転車競技、セーリングなどを担当している。
【画像】トルコ王者ジラート、石川祐希の獲得を発表!
最終的に日本代表キャプテンが選んだ新天地はトルコ。2026-27シーズンから石川はジラート・バンク・アンカラのユニホームを身にまとい、年俸約80万ユーロ(約1.5億円)を稼ぐことになる。彼はポーランドに戻るトマシュ・フォルナルの後任となる予定だ。
ジラートはトルコ屈指の強豪で、ペルージャが制した今シーズンのチャンピオンズリーグを3位で終えている。20年から24年まで石川がプレーし、リーグ準優勝も果たしたことのあるパワーバレー・ミラノも獲得に動いたが、争奪戦に勝利したのはジラートだった。
こうして石川はペルージャを去ることになった。彼とチームとの関係はこの2年の間に徐々に変化していった。最初は相思相愛の関係だったが、その後は厳しい時間もあった。今年2月に右膝を負傷してしまい、シーズン終盤に復帰したが、十分な出場機会は巡ってこなかった。
24年夏に加入した石川は、フィレンツェで行なわれたトレンティーノとのスーパーカップ決勝で活躍を見せてタイトルを手繰り寄せ、すぐにチームの中心選手となった。石川は新たな飛躍をし、ペルージャサポーターは新たな寵児を見つけた。そのように見えた。
日本語で「石川」と記された背番号14のTシャツは飛ぶように売れた。クラブのグッズは日本のファンによって争奪戦となり、日本から訪れる人々によるチケットや年間シートの購入も増え、石川はクラブの収益に大きく貢献した。
しかし時が経つにつれ、アンジェロ・ロレンツェッティ監督は、ポーランドのカミル・セメニウクやウクライナのオレフ・プロトニツキを優先して起用するようになり、石川の出場機会は減っていった。
こうした経緯もあってクラブ側は契約延長を見送り、石川側は新たな道を進むことを決心した。行先は近年、台頭著しいトルコリーグだ。というのも石川は日本代表の絶対的主力。今後の代表戦に備え、より多くの出場機会を求めるのは当然だ。来夏にはポーランドでの世界選手権が控えているし、その翌年の28年にはロサンゼルス五輪が待っている。
ちなみにトルコは妹・石川真佑の新天地でもある。2シーズンを過ごしたノバーラを後にし、イタリア人のジューリオ・ブレゴーリ監督が率いるイスタンブールのエジザージュバシュへと移籍する。
成績やコートでの活躍以外でも、石川祐希はペルージャのロッカールームに素晴らしい思い出を残している。とくに数人の選手とは親友といってもいい間柄となった。中でもプロトニツキや若手のニコラ・チャンチョッタ、かつてミラノでともにプレーしたアルゼンチンのアグスティン・ロセルとは特別な絆で結ばれた。
30歳となった石川の、イタリアでの冒険がこれで幕を閉じる。14年のモデナから始まり、ラティーナ(16~18シーズン)、パドバ(18-19シーズン)、シエナ(19-20シーズン)を経て、ミラノ(20~24シーズン)で頭角を現わし、ペルージャで幕を閉じるまで彼は、イタリアバレー界で活躍した。
トルコで石川は最も年俸の高い選手のひとりとなり、所属するジラートは非常に野心的なチーム。チームメイトには、フランスのトレボール・クレブノやオランダのニミル・アブデル=アジズもいる。
それにしても西田有志や高橋藍に続いてまたひとり、素晴らしい思い出とともに日本のスターがイタリアバレー界を後にするのは、少し寂しい気がする。ペルージャのサポーターも、その穏やかな人柄と親しみやすさから、石川を深く愛していた。
文●ダビデ・ロマーニ
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】ダビデ・ロマーニ(Davide Romani)/1978年1月24日、イタリアのクレモナ生まれ。大学では国際関係・外交学専攻。2007年から大手スポーツ紙『La Gazzetta dello Sport』の記者としてバレーボール、バスケットボール、自転車競技、セーリングなどを担当している。
【画像】トルコ王者ジラート、石川祐希の獲得を発表!




