2024年の春、JRA史上に残る数々の記録を打ち立てた藤沢和雄が調教師を引退した。そんな名伯楽であっても、厩舎を開業してからしばらくの間はトップクラスの血統馬を管理することができなかった。彼が開業した1990年代の競走馬市場には、現在の『セレクトセール』のような、一流の血統馬が財力さえあれば誰でも自由に買えるセリ市はなく、評判の高い馬のほとんどは牧場が贔屓の馬主や調教師と直接売買する“庭先取引”が主流。新入りの馬主や若い調教師が割って入る隙間は無いに近かった。
開業当初から水準以上の成績を挙げていた藤沢だが、なかなか重賞に手が届くようなトップホースを管理する機会には恵まれなかった。そんな若きトレーナーに手を差し伸べたのは、藤沢が調教助手を務めていたころに“皇帝”シンボリルドルフを通じて旧知の間柄だった騎手の岡部幸雄だった。
岡部は古くから自身をバックアップしてくれていたオーナーの赤沢胖(ゆたか)が米国の牧場を買収し、そこで生産した馬をアイルランドで育成・調教。そのなかから日本競馬に合いそうな馬をピックアップしたうえで輸入し、新たに北海道の広尾郡大樹(たいき)町に開いた大樹ファームでさらに調教を積んで調教師のもとへ送り出すという壮大なプロジェクトを進めていた。そのため買収前に米国の牧場でマネージャーを務めていた優秀なホースマン、ジョン・マルドゥーンと再契約した。
この試みはすなわち外国産馬を取り扱うということで、競馬サークルに入る前にアイルランドで4年の研修を積み、欧州スタイルの育成・調教から多大な影響を受けていた藤沢にとっては願ってもないチャンスとなる。このプロジェクトを任された赤澤胖の息子、赤澤芳樹とタッグを組んで外国産馬を管理するという新機軸に活路を見出そうとした。
この挑戦は目覚ましい成果を挙げる。新たに設立したクラブ法人『大樹レーシングクラブ』に生産・育成馬を供給するほか、マーケットブリーダーの役割も担っていた大樹ファームは、赤澤がアイルランドのセールで購買した名種牡馬カーリアン(Caerleon)産駒の牝馬を輸入し、藤沢の勧めに応じた馬主の安田修に売却。シンコウラブリイと名付けられ、藤沢のもとへと入厩した。
主戦騎手を務めた岡部は調教から深く関わりを持ち、藤沢の新たな試みをバックアップした。1991年11月にデビューしたその外国産の才媛は翌年のニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)に優勝。これが藤沢にとって初の重賞制覇となる。その後も重賞勝利を4つ積み重ね、1993年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を勝って、自ら引退の花道を飾った。もちろん藤沢にとっての初GⅠ制覇であった。
藤沢と大樹ファームのコンビはその後も次々と外国産の活躍馬を送り出す。1997年にはタイキブリザードで安田記念(GⅠ)を制した。その年の2月に入厩した尾花栗毛の牡馬が驚異的な成功を収める。その馬は、父デヴィルズバッグ(Devil's Bag)、母ウェルシュマフィン、母の父カーリアン(Caerleon)という血統の米国産馬で、名をタイキシャトルと言った。
開業当初から水準以上の成績を挙げていた藤沢だが、なかなか重賞に手が届くようなトップホースを管理する機会には恵まれなかった。そんな若きトレーナーに手を差し伸べたのは、藤沢が調教助手を務めていたころに“皇帝”シンボリルドルフを通じて旧知の間柄だった騎手の岡部幸雄だった。
岡部は古くから自身をバックアップしてくれていたオーナーの赤沢胖(ゆたか)が米国の牧場を買収し、そこで生産した馬をアイルランドで育成・調教。そのなかから日本競馬に合いそうな馬をピックアップしたうえで輸入し、新たに北海道の広尾郡大樹(たいき)町に開いた大樹ファームでさらに調教を積んで調教師のもとへ送り出すという壮大なプロジェクトを進めていた。そのため買収前に米国の牧場でマネージャーを務めていた優秀なホースマン、ジョン・マルドゥーンと再契約した。
この試みはすなわち外国産馬を取り扱うということで、競馬サークルに入る前にアイルランドで4年の研修を積み、欧州スタイルの育成・調教から多大な影響を受けていた藤沢にとっては願ってもないチャンスとなる。このプロジェクトを任された赤澤胖の息子、赤澤芳樹とタッグを組んで外国産馬を管理するという新機軸に活路を見出そうとした。
この挑戦は目覚ましい成果を挙げる。新たに設立したクラブ法人『大樹レーシングクラブ』に生産・育成馬を供給するほか、マーケットブリーダーの役割も担っていた大樹ファームは、赤澤がアイルランドのセールで購買した名種牡馬カーリアン(Caerleon)産駒の牝馬を輸入し、藤沢の勧めに応じた馬主の安田修に売却。シンコウラブリイと名付けられ、藤沢のもとへと入厩した。
主戦騎手を務めた岡部は調教から深く関わりを持ち、藤沢の新たな試みをバックアップした。1991年11月にデビューしたその外国産の才媛は翌年のニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)に優勝。これが藤沢にとって初の重賞制覇となる。その後も重賞勝利を4つ積み重ね、1993年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を勝って、自ら引退の花道を飾った。もちろん藤沢にとっての初GⅠ制覇であった。
藤沢と大樹ファームのコンビはその後も次々と外国産の活躍馬を送り出す。1997年にはタイキブリザードで安田記念(GⅠ)を制した。その年の2月に入厩した尾花栗毛の牡馬が驚異的な成功を収める。その馬は、父デヴィルズバッグ(Devil's Bag)、母ウェルシュマフィン、母の父カーリアン(Caerleon)という血統の米国産馬で、名をタイキシャトルと言った。




