明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回はテニスの四大大会で本戦出場、世界ランキング100位を突破して日本人トップの座につくなど、大学出身のプロ選手としては異例の飛躍を遂げている島袋将さんが登場。テニスを始めたきっかけやこれまでのキャリアの転機、プロまでの道のり、今後の目標、そしてアスリートの食生活まで幅広く語ってくれた。前編・後編でお届けする。
――テニスを始めたきっかけを教えてください。
子どもの頃、よく家族でキャンピングカーに乗って旅行をすることが多くて、道の駅などで車を止めて宿泊し、スーパー銭湯などに寄ったりするのがすごく好きでした。そんな旅行をしていたある日、朝起きて車から外に出たら目の前にテニスコートがあったんです。そこで家族みんなで「じゃあテニスする?」となったのがテニスとの出会いですね。
――それは何歳の時だったか覚えていますか?
小学1年生頃だったと思います。その旅行の後に何かスポーツを習おうという話になって、僕は最初野球がやりたくて…。でも野球だと試合や練習で親の当番などがあるし、兄弟も多かったので難しいと反対されて、じゃあ楽しかった思い出があるテニスにしようと始めました。
地元のスポーツ少年団みたいなところで、田んぼのド真ん中にテニスコートが1面あって、コートの周りは全部畑。その1面に子どもたち20人くらい入るんです。1時間とか1時間半とか、ひたすらボールを打って、趣味程度で始めたのが始まりです。
――まだレッスンというより遊び感覚ですか?
兄や友達と「どこまでボール飛ばせるかやろうぜ!」みたいに競争してました。周りが田んぼだったので、どれだけ飛ばしても被害がない(笑)。怒られてボールを取りに行ったりしてましたね。
――どのくらいの頻度でテニスをしていたんですか?
小学1、2年生は週1回のテニスと、それ以外にも習い事をしていましたが、小学3、4年生から、そのスポーツ少年団でコーチをしていた方のテニスクラブに通うようになって、週3~4回の練習に増えました。そして小学5年生から「ヒデテニスアカデミー」(※岐阜県のジュニア育成の名門)に通い、週6日ほぼ毎日テニス三昧でしたね。
――そこまでテニスに夢中になっていったのはなぜですか?
小学4年生くらいの時に、テレビでウインブルドン(※テニスの四大大会の1つ)のフェデラー(※伝説的な名選手)の試合を見たことです。画面越しでもすごく格好良かった。当時の僕からしたら、踊っているようにプレーしている姿を見て、「自分もこうなりたい」と強く思ったのがきっかけでした。そこから親に「本気でテニスやりたい」と話して、アカデミーに入ったのが大きな一歩だったかなと思います。
――そこから中学・高校では全国レベルに達しましたが、まだトップには届かない立ち位置でしたよね? どういう気持ちでテニスをしていましたか?
プロになりたいという気持ちは小5くらいからずっと持っていて、高校を卒業したらプロになるつもりでいました。そのためには全国のタイトルが必要だったので、とにかく全国優勝、個人戦のシングルスで優勝することを目標にしてやっていました。でも結局、高校3年の最後のインターハイではベスト8、全日本ジュニアもベスト16で、十分な結果を残せずに終わりました。
その時、大学から話を頂いたんです。実は高校1年くらいから勧誘してもらうことはありましたが、プロになるつもりだったので選択肢としてはあまり考えていませんでした。でも高校最後の年に結果を残せなかった段階で、プロになるために大学で力を付けようと考えるようになりました。
――テニスを始めたきっかけを教えてください。
子どもの頃、よく家族でキャンピングカーに乗って旅行をすることが多くて、道の駅などで車を止めて宿泊し、スーパー銭湯などに寄ったりするのがすごく好きでした。そんな旅行をしていたある日、朝起きて車から外に出たら目の前にテニスコートがあったんです。そこで家族みんなで「じゃあテニスする?」となったのがテニスとの出会いですね。
――それは何歳の時だったか覚えていますか?
小学1年生頃だったと思います。その旅行の後に何かスポーツを習おうという話になって、僕は最初野球がやりたくて…。でも野球だと試合や練習で親の当番などがあるし、兄弟も多かったので難しいと反対されて、じゃあ楽しかった思い出があるテニスにしようと始めました。
地元のスポーツ少年団みたいなところで、田んぼのド真ん中にテニスコートが1面あって、コートの周りは全部畑。その1面に子どもたち20人くらい入るんです。1時間とか1時間半とか、ひたすらボールを打って、趣味程度で始めたのが始まりです。
――まだレッスンというより遊び感覚ですか?
兄や友達と「どこまでボール飛ばせるかやろうぜ!」みたいに競争してました。周りが田んぼだったので、どれだけ飛ばしても被害がない(笑)。怒られてボールを取りに行ったりしてましたね。
――どのくらいの頻度でテニスをしていたんですか?
小学1、2年生は週1回のテニスと、それ以外にも習い事をしていましたが、小学3、4年生から、そのスポーツ少年団でコーチをしていた方のテニスクラブに通うようになって、週3~4回の練習に増えました。そして小学5年生から「ヒデテニスアカデミー」(※岐阜県のジュニア育成の名門)に通い、週6日ほぼ毎日テニス三昧でしたね。
――そこまでテニスに夢中になっていったのはなぜですか?
小学4年生くらいの時に、テレビでウインブルドン(※テニスの四大大会の1つ)のフェデラー(※伝説的な名選手)の試合を見たことです。画面越しでもすごく格好良かった。当時の僕からしたら、踊っているようにプレーしている姿を見て、「自分もこうなりたい」と強く思ったのがきっかけでした。そこから親に「本気でテニスやりたい」と話して、アカデミーに入ったのが大きな一歩だったかなと思います。
――そこから中学・高校では全国レベルに達しましたが、まだトップには届かない立ち位置でしたよね? どういう気持ちでテニスをしていましたか?
プロになりたいという気持ちは小5くらいからずっと持っていて、高校を卒業したらプロになるつもりでいました。そのためには全国のタイトルが必要だったので、とにかく全国優勝、個人戦のシングルスで優勝することを目標にしてやっていました。でも結局、高校3年の最後のインターハイではベスト8、全日本ジュニアもベスト16で、十分な結果を残せずに終わりました。
その時、大学から話を頂いたんです。実は高校1年くらいから勧誘してもらうことはありましたが、プロになるつもりだったので選択肢としてはあまり考えていませんでした。でも高校最後の年に結果を残せなかった段階で、プロになるために大学で力を付けようと考えるようになりました。
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