日本人男子選手として史上初めて欧州制覇の快挙を成し遂げたプロバレーボーラー石川祐希にロングインタビューを敢行。移籍先シル スーザ ヴィム・ペルージャで初シーズンを終えて間もない日本代表の主将が、イタリアでの10年と新天地での今シーズンを振り返り、いよいよ幕開けとなった代表シーズンへ向けて思いを語ってくれた。
【画像】目標はロス五輪でのメダル獲得! 新生男子日本代表27人の顔ぶれ
前編では、“イタリア10年間の軌跡”をテーマに話を伺った。
欧州最上位の大会CEVチャンピオンズリーグ(CL)優勝の歓喜から1週間。石川の姿はまだ、チームが本拠地とするイタリア中部の町ペルージャにあった。
――自身とクラブにとって初のCL優勝。現地報道によると400人を越えるサポーターが帰還を出迎えたと言います。偉業を達成した余韻は?
「今はそんなにないというか、またいつもの日常に戻ったみたいな感じですね。(開催地ポーランドから)帰ってきて、チームの食事会、スポンサーへ優勝報告の挨拶やペルージャ市とウンブリア州の庁舎を表敬訪問したり、その時は凄いことをしたんだなぁって。空港からバスでペルージャに戻った僕らを、すごい数のサポーターが出迎えてくれたことには、本当にびっくりしました」
多忙なシーズンを終えて、トレーニングをしながら休養を取り、現在はリフレッシュ中。ボールには全く触っていないという。
――クラブから代表へ頭を切り替えている途中?
「まあ、そうですね。今はまだ代表のことはちょっと(頭に)あるくらいかな。環境が整っていてやりやすいし、静かで落ち着いてできるので、こっち(イタリア)でコンディション調整をしています」
石川は、中央大1年生だった2014-15シーズンに19歳で名門モデナに短期移籍をしてイタリアでのキャリアをスタート。同大学3、4年次にはシーズン途中からラティーナ(現チステルナ)に在籍した。卒業後にプロへ転向してからは、シエナとパドヴァでプレーした後、2020年から4シーズンをミラノで過ごし、欧州大会CEVチャレンジカップで主力として初タイトルを獲得、プレーオフで2シーズン連続4強入り、最終シーズンはリーグ成績でミラノと自身にとって最高位の3位に輝いた。そして、イタリア10年目の2024-25シーズン、熱烈オファーを受けてクラブ世界王者ペルージャへ戦いの場を移した。
――イタリアでの10シーズンを振り返って。
「正直なことを言うと、モデナ1年とラティーナの2年はまだプロじゃなかったし、3か月しかこっちにいなかったのもあって、僕としてはあまりカウントしていないんです。通算では10シーズンになりますけど、実際のところフルシーズンでプレーしたのは7シーズンなんで。最初の3年は準備期間ではありましたね」
「プロに転向してシエナ、パドヴァ、そして、ミラノ。それからここペルージャっていうふうに進んできて、一歩ずつ毎年、毎年、新しいというかプラスの結果は出せているので、順調に来ていると思います」
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前編では、“イタリア10年間の軌跡”をテーマに話を伺った。
欧州最上位の大会CEVチャンピオンズリーグ(CL)優勝の歓喜から1週間。石川の姿はまだ、チームが本拠地とするイタリア中部の町ペルージャにあった。
――自身とクラブにとって初のCL優勝。現地報道によると400人を越えるサポーターが帰還を出迎えたと言います。偉業を達成した余韻は?
「今はそんなにないというか、またいつもの日常に戻ったみたいな感じですね。(開催地ポーランドから)帰ってきて、チームの食事会、スポンサーへ優勝報告の挨拶やペルージャ市とウンブリア州の庁舎を表敬訪問したり、その時は凄いことをしたんだなぁって。空港からバスでペルージャに戻った僕らを、すごい数のサポーターが出迎えてくれたことには、本当にびっくりしました」
多忙なシーズンを終えて、トレーニングをしながら休養を取り、現在はリフレッシュ中。ボールには全く触っていないという。
――クラブから代表へ頭を切り替えている途中?
「まあ、そうですね。今はまだ代表のことはちょっと(頭に)あるくらいかな。環境が整っていてやりやすいし、静かで落ち着いてできるので、こっち(イタリア)でコンディション調整をしています」
石川は、中央大1年生だった2014-15シーズンに19歳で名門モデナに短期移籍をしてイタリアでのキャリアをスタート。同大学3、4年次にはシーズン途中からラティーナ(現チステルナ)に在籍した。卒業後にプロへ転向してからは、シエナとパドヴァでプレーした後、2020年から4シーズンをミラノで過ごし、欧州大会CEVチャレンジカップで主力として初タイトルを獲得、プレーオフで2シーズン連続4強入り、最終シーズンはリーグ成績でミラノと自身にとって最高位の3位に輝いた。そして、イタリア10年目の2024-25シーズン、熱烈オファーを受けてクラブ世界王者ペルージャへ戦いの場を移した。
――イタリアでの10シーズンを振り返って。
「正直なことを言うと、モデナ1年とラティーナの2年はまだプロじゃなかったし、3か月しかこっちにいなかったのもあって、僕としてはあまりカウントしていないんです。通算では10シーズンになりますけど、実際のところフルシーズンでプレーしたのは7シーズンなんで。最初の3年は準備期間ではありましたね」
「プロに転向してシエナ、パドヴァ、そして、ミラノ。それからここペルージャっていうふうに進んできて、一歩ずつ毎年、毎年、新しいというかプラスの結果は出せているので、順調に来ていると思います」