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バレーボール

“東洋の魔女“の系譜を引き継ぐ名将、達川実が8年ぶりの現場で感じた女子高バレーの現実と未来

北野正樹

2021.03.18

写真:北野正樹

写真:北野正樹

 就任して間もない達川だが、新しい発見もあった。約40年の指導者歴のすべてが、実業団チーム。そんな選手に3人レシーブは基本中の基本。3人が無駄な動きをせず、ボールを落とさないように指導する必要はなかった。だが、高校生にはそんな基礎から教えなければならない。Vリーグ監督時代、高校の指導者が次第に情熱を失っていく様子を不思議な思いで見ていたが、実際に指導をしてみて思い当たった。「正直に言って高校生のレベルは高くない。毎年、毎年、基礎作りに明け暮れていれば、マンネリに陥る気持ちがわかった。でも、僕にはすべてが新しい体験。(レベルの低いカテゴリーでの)経験のなさが、逆に僕の大きな武器」と、新しい環境に気持ちを高ぶらせている。

 植田辰哉、真鍋政義の男女代表監督ら名指導者を生んだ大商大出身。アタッカーとして活躍したが、日本リーグ(現Vリーグ)で通用するとは思わず、レシーブやブロック練習のためにボールを打つ“打ち屋“として練習の手伝いに行ったことのあるユニチカに、コーチとして1975年に入社した。
 
 当時の監督は、“鬼の大松“と呼ばれ、“東洋の魔女“を率いて1964年の東京五輪で日本代表女子を金メダルに導いた大松博文監督のもとでコーチを務めた小島孝治(ミュンヘン五輪女子代表監督)。コーチは大松の指導を学び、ユニチカ、デンソー両監督を務めた、アトランタ五輪女子代表監督の吉田国昭だ。

 達川は、ここでニチボー貝塚の指導方法を叩き込まれる。3人レシーブでボールを出すが、すぐに吉田から「替われ」とコートを追い出されてしまう。どこが悪いのか、何も教えてはくれない。1時間の昼休憩を挟んで深夜まで続く練習で、倒れた選手に水をかけたり泣き出す選手に声を掛けたりするだけの1年が続いた。「休憩時間も1人でポツンと体育館のベンチで座っているだけ。寮の自室で『泣いている選手を相手に、なんでこんなことをやっているのだろう。辞めて帰りたい』と何度も泣いた」と振り返る。
 
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