1月の洛陽ステークス(OP)を2着とすると、次走の京都牝馬特別(GⅢ)は中団から突き抜けて重賞初制覇を飾る。そのあと中山牝馬ステークス(GⅢ)を3着とすると、京王杯スプリングステークス(GⅡ)でユキノサンライズ以下を切り捨てて重賞2勝目を記録。そして迎えた春のマイル王決定戦となる安田記念(GⅠ)。1000m通過57秒6というハイペースを後方から進んだダイイチルビーは、直線で馬場の真ん中へと持ち出して追撃。切れ味抜群の末脚を爆発させると、先に抜け出したダイタクヘリオス、バンブーメモリーを難なく捉えて優勝。ファミリーのニックネームに違わぬ華麗なレースぶりで、念願のGⅠタイトルを手に入れた。これは1984年のグレード制導入以降、史上初の安田記念制覇となった。
その後は高松宮杯(GⅡ)を2着として休養に入り、10月のスワンステークス(GⅡ)で復帰。ここを2着として進んだマイルチャンピオンシップ(GⅠ)では単勝オッズ1.8倍の1番人気で出走。中団から徐々に位置を押し上げながら直線を迎えたが、気分良く逃げたダイタクヘリオスを捉え切れず、2馬身半差の2着に終わった。
そして、当時は12月の第3週に開催していたスプリンターズステークス(GⅠ)へ進んだダイイチルビーは、自身初の1200m戦で恐るべき競馬を見せる。2番人気に推された彼女は中団の後ろ目12番手を進むと、先行したナルシスノワールとハスキーハニーを猛追。一気に突き抜けると、粘るナルシスノワールに4馬身(0秒7)差を付けて圧勝。『華麗なる一族』のトレードマークとも言える圧巻のスピードでスプリントチャンピオンの座に就いたのだった。なお、この年のJRA賞では最優秀4歳以上牝馬、最優秀スプリンターの二冠に輝いた。
この勝利を最後に、ダイイチルビーは精彩を欠いたレースを続け、マイラーズカップ(GⅡ)が6着、京王杯スプリングカップが5着、そして連覇をかけた安田記念で15着に大敗したのを機に現役を引退。彼女をトップマイラー、トップスプリンターに育て上げた調教師の伊藤雄二はのちに、マイラーズカップのときにはフケ(発情)が来ていたとし、その頃から現役生活の終わりを意識するようになったことを明かしている。
現役を引退したダイイチルビーは、オーナーの辻本が彼女のために開いたダイイチ牧場(北海道・三石町)に繋養され、2007年に20歳で死ぬまでに7頭の産駒を残した。しかし活躍馬は1997年のオークスで3着に入った初子のダイイチシガーぐらいにとどまり、2000年ごろにはイットーから広がったファミリーの枝葉がほぼ潰えてしまったことはつくづく惜しまれる。
それでもダイイチルビーが、日本に一時代を画した『華麗なる一族』にひと際まばゆい輝きを放った名牝であった事実は決して揺らぐことはない。
文●三好達彦
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その後は高松宮杯(GⅡ)を2着として休養に入り、10月のスワンステークス(GⅡ)で復帰。ここを2着として進んだマイルチャンピオンシップ(GⅠ)では単勝オッズ1.8倍の1番人気で出走。中団から徐々に位置を押し上げながら直線を迎えたが、気分良く逃げたダイタクヘリオスを捉え切れず、2馬身半差の2着に終わった。
そして、当時は12月の第3週に開催していたスプリンターズステークス(GⅠ)へ進んだダイイチルビーは、自身初の1200m戦で恐るべき競馬を見せる。2番人気に推された彼女は中団の後ろ目12番手を進むと、先行したナルシスノワールとハスキーハニーを猛追。一気に突き抜けると、粘るナルシスノワールに4馬身(0秒7)差を付けて圧勝。『華麗なる一族』のトレードマークとも言える圧巻のスピードでスプリントチャンピオンの座に就いたのだった。なお、この年のJRA賞では最優秀4歳以上牝馬、最優秀スプリンターの二冠に輝いた。
この勝利を最後に、ダイイチルビーは精彩を欠いたレースを続け、マイラーズカップ(GⅡ)が6着、京王杯スプリングカップが5着、そして連覇をかけた安田記念で15着に大敗したのを機に現役を引退。彼女をトップマイラー、トップスプリンターに育て上げた調教師の伊藤雄二はのちに、マイラーズカップのときにはフケ(発情)が来ていたとし、その頃から現役生活の終わりを意識するようになったことを明かしている。
現役を引退したダイイチルビーは、オーナーの辻本が彼女のために開いたダイイチ牧場(北海道・三石町)に繋養され、2007年に20歳で死ぬまでに7頭の産駒を残した。しかし活躍馬は1997年のオークスで3着に入った初子のダイイチシガーぐらいにとどまり、2000年ごろにはイットーから広がったファミリーの枝葉がほぼ潰えてしまったことはつくづく惜しまれる。
それでもダイイチルビーが、日本に一時代を画した『華麗なる一族』にひと際まばゆい輝きを放った名牝であった事実は決して揺らぐことはない。
文●三好達彦
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