6歳になったサクラローレルは2月末で定年によって引退した境勝太郎厩舎から、3月に開業した小島太厩舎へと移籍。国内で大願を成就したサクラローレルの陣営は、いよいよ欧州へと打って出るプランを模索した。ただし有馬記念後、球節に軽い骨折が見つかったため、遠征は秋シーズンへと持ち越しとし、春は天皇賞の連覇を目標とした。
骨折によって調整が遅れ、ぶっつけでの参戦となった天皇賞(春)。1番人気に推されたサクラローレルは直線で抜け出して連覇が達成されるかと思われたが、そこへ戦法を変更して後方から一気に脚を伸ばしたマヤノトップガンに差し切られて2着に敗れた。
1993年に亡くなった全演植の遺志を継いだサクラローレルの陣営は、いよいよ凱旋門賞制覇の夢を追うべく正式にフランスへ向かうことを発表。8月にシャンティイ競馬場に近い調教場へ入る。そしてフランス競馬での経験が多いことから新たに騎乗を依頼した武豊に手綱を預けて、プレップレースのフォワ賞(G3)に出走。道中は8頭立ての4番手を進んだサクラローレルだったが、直線に入って失速。最下位の8着に敗れると、入線後に故障を察知していた武が下馬する。診断は「右前脚屈腱不全断裂」で、競走能力喪失と判断される重傷だった。
のちに小島太にサクラローレルの足元の状態について取材で訊ねたことがある。そのとき小島は、「もともと足元は弱かったが、両前を骨折してからはずっと爆弾を抱えているような状態だった。フランスへ連れていくときも、力は通用すると思っていたが、それは“足元がもてば…“というのが前提。遠征自体が一種のギャンブルだった」と苦しかった胸の内を打ち明けた。
種牡馬入りしたサクラローレルはローマンエンパイア(GⅢ京成杯)や、日経新春杯(GⅡ)など重賞を3勝したサクラセンチュリーらを出して活躍。そして2012年で種牡馬生活から引退し、2020年1月24日に老衰で天寿を全うした。
何度もの故障から立ち上がって2つのGⅠを制して年度代表馬にまで上り詰めたサクラローレル。ガラスの脚と鋼鉄の魂を持った遅咲きのステイヤーは、今もいぶし銀の輝きを放っている。(文中敬称略)
文●三好達彦
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骨折によって調整が遅れ、ぶっつけでの参戦となった天皇賞(春)。1番人気に推されたサクラローレルは直線で抜け出して連覇が達成されるかと思われたが、そこへ戦法を変更して後方から一気に脚を伸ばしたマヤノトップガンに差し切られて2着に敗れた。
1993年に亡くなった全演植の遺志を継いだサクラローレルの陣営は、いよいよ凱旋門賞制覇の夢を追うべく正式にフランスへ向かうことを発表。8月にシャンティイ競馬場に近い調教場へ入る。そしてフランス競馬での経験が多いことから新たに騎乗を依頼した武豊に手綱を預けて、プレップレースのフォワ賞(G3)に出走。道中は8頭立ての4番手を進んだサクラローレルだったが、直線に入って失速。最下位の8着に敗れると、入線後に故障を察知していた武が下馬する。診断は「右前脚屈腱不全断裂」で、競走能力喪失と判断される重傷だった。
のちに小島太にサクラローレルの足元の状態について取材で訊ねたことがある。そのとき小島は、「もともと足元は弱かったが、両前を骨折してからはずっと爆弾を抱えているような状態だった。フランスへ連れていくときも、力は通用すると思っていたが、それは“足元がもてば…“というのが前提。遠征自体が一種のギャンブルだった」と苦しかった胸の内を打ち明けた。
種牡馬入りしたサクラローレルはローマンエンパイア(GⅢ京成杯)や、日経新春杯(GⅡ)など重賞を3勝したサクラセンチュリーらを出して活躍。そして2012年で種牡馬生活から引退し、2020年1月24日に老衰で天寿を全うした。
何度もの故障から立ち上がって2つのGⅠを制して年度代表馬にまで上り詰めたサクラローレル。ガラスの脚と鋼鉄の魂を持った遅咲きのステイヤーは、今もいぶし銀の輝きを放っている。(文中敬称略)
文●三好達彦
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