――会社の事業内容についても改めて教えていただけますでしょうか。
いろいろな業種を入れているんですけども、ジャンプの収入もありますし、エネルギー関連の事業、食品関係、あとは教育関連ですね。北海道ハイテクノロジー専門学校というところの副校長をやらせていただいています。
――食品事業では百貨店などに出店して販売されている姿を見たことがあります。
はい、やっています。食品を始めた理由が子どもたちの支援なんですよ。いま頑張っている子どもたちを元気づけて、もっとジャンプを頑張ってもらおうということで道具の支援や少年団の支援をしています。
――そうした取り組みを始めた理由、思いはどんなところだったんでしょうか。
ジャンプの道具って普通に販売されてるものではないので、結構お金がかかるんです。なので1年でも長くジャンプをやってくれるように道具の支援しようというところから始めました。北海道の場合、小学生でジャンプをやっている子どもたちはある程度いますが、中学生になるタイミングで一気に減ってしまう。成長期を迎えて、スキー板やスーツのサイズを頻繁に変える必要がある競技なので経済的な負担が大きいのだと思います。だからこそ道具の支援をすることでジャンプをやっている小学生が中学生になっても続けてくれるきっかけになればと取り組んでいます。
――競技の未来にとって厳しい状況があるのですね。
今は小林陵有くんだったり、女子は丸山希さんや高梨沙羅さんだったり、いろいろな選手が頑張っている姿に憧れて競技を始めてくれる小学生が多いんですよ。ただ、その小学生が中学生までやってくれるという保証はないですし、考えると怖いところです。
選手たちも自分たちが頑張ることで競技人口を増やしたいと思いながら飛んでいるので、相当プレッシャーを持ってやっているのではないかなと思います。
――ミラノ・コルティナオリンピックが始まります。選手にメッセージをおくるとしたらどのような言葉になるでしょうか。 ※編集部注:26年1月に取材
自分もまだ飛んでますので、出場する選手たちのレベルの高さはわかります。技術的な部分で一番安定しているチームは日本だと思うんですよ。自信を持って飛べれば結果は必ずついてくるはずなので、そうなってほしいなと思いますね。
――ジャンプを頑張っている子どもたち、ジュニアの選手に競技に向けて取り組むアドバイス、ジャンプの魅力をお願いします。
僕もジャンプを続けていて、なかなか結果が出てない、楽しくないなと感じることはあります。それでもジャンプするときは楽しい顔をしながら飛んでいると思うので、そうした姿を見てもらって、ジャンプって楽しそうだからやってみたいなと感じてもらえたら嬉しいです。僕は言葉にして伝えるのが苦手なタイプなので、言葉で教えるよりもオリンピックに出場する選手たちの活躍を見ることで感じることがあると思うので、競技が盛り上げられるような手伝いができればと考えています。
――最後に選手として、経営者としてこれからの目標を押してください
選手としては今よりも距離を延ばして結果を出したいです。
会社としては、長野が終わって当時では異例だったプロ第一号の道を選びました。だからこそジャンプを続けながら、会社も潰すわけにはいかない。ジャンプを続けていることで色々な人、企業さんとの繋がりが生まれて仕事にも繋がっています。今の形を守り続けることが目標だと思っています。昔から一生懸命やることは得意なので、これからも一生懸命にやるだけですね。
船木 和喜(ふなき かずよし)
1975年4月27日生まれ、北海道余市町出身
小学5年生のときにスキー・ジャンプを始める。1998年長野、2002年ソルトレイクシティと2度オリンピックに出場、長野ではラージヒル、団体で金メダル、ノーマルヒルで銀メダルを獲得。1999年世界選手権ノーマルヒルで金メダル。1999年に会社を設立、今日も幅広く事業を展開しながらジャンプに打ち込む子どもたちなどへの支援を行っている。また競技選手として現在も活動している。
いろいろな業種を入れているんですけども、ジャンプの収入もありますし、エネルギー関連の事業、食品関係、あとは教育関連ですね。北海道ハイテクノロジー専門学校というところの副校長をやらせていただいています。
――食品事業では百貨店などに出店して販売されている姿を見たことがあります。
はい、やっています。食品を始めた理由が子どもたちの支援なんですよ。いま頑張っている子どもたちを元気づけて、もっとジャンプを頑張ってもらおうということで道具の支援や少年団の支援をしています。
――そうした取り組みを始めた理由、思いはどんなところだったんでしょうか。
ジャンプの道具って普通に販売されてるものではないので、結構お金がかかるんです。なので1年でも長くジャンプをやってくれるように道具の支援しようというところから始めました。北海道の場合、小学生でジャンプをやっている子どもたちはある程度いますが、中学生になるタイミングで一気に減ってしまう。成長期を迎えて、スキー板やスーツのサイズを頻繁に変える必要がある競技なので経済的な負担が大きいのだと思います。だからこそ道具の支援をすることでジャンプをやっている小学生が中学生になっても続けてくれるきっかけになればと取り組んでいます。
――競技の未来にとって厳しい状況があるのですね。
今は小林陵有くんだったり、女子は丸山希さんや高梨沙羅さんだったり、いろいろな選手が頑張っている姿に憧れて競技を始めてくれる小学生が多いんですよ。ただ、その小学生が中学生までやってくれるという保証はないですし、考えると怖いところです。
選手たちも自分たちが頑張ることで競技人口を増やしたいと思いながら飛んでいるので、相当プレッシャーを持ってやっているのではないかなと思います。
――ミラノ・コルティナオリンピックが始まります。選手にメッセージをおくるとしたらどのような言葉になるでしょうか。 ※編集部注:26年1月に取材
自分もまだ飛んでますので、出場する選手たちのレベルの高さはわかります。技術的な部分で一番安定しているチームは日本だと思うんですよ。自信を持って飛べれば結果は必ずついてくるはずなので、そうなってほしいなと思いますね。
――ジャンプを頑張っている子どもたち、ジュニアの選手に競技に向けて取り組むアドバイス、ジャンプの魅力をお願いします。
僕もジャンプを続けていて、なかなか結果が出てない、楽しくないなと感じることはあります。それでもジャンプするときは楽しい顔をしながら飛んでいると思うので、そうした姿を見てもらって、ジャンプって楽しそうだからやってみたいなと感じてもらえたら嬉しいです。僕は言葉にして伝えるのが苦手なタイプなので、言葉で教えるよりもオリンピックに出場する選手たちの活躍を見ることで感じることがあると思うので、競技が盛り上げられるような手伝いができればと考えています。
――最後に選手として、経営者としてこれからの目標を押してください
選手としては今よりも距離を延ばして結果を出したいです。
会社としては、長野が終わって当時では異例だったプロ第一号の道を選びました。だからこそジャンプを続けながら、会社も潰すわけにはいかない。ジャンプを続けていることで色々な人、企業さんとの繋がりが生まれて仕事にも繋がっています。今の形を守り続けることが目標だと思っています。昔から一生懸命やることは得意なので、これからも一生懸命にやるだけですね。
船木 和喜(ふなき かずよし)
1975年4月27日生まれ、北海道余市町出身
小学5年生のときにスキー・ジャンプを始める。1998年長野、2002年ソルトレイクシティと2度オリンピックに出場、長野ではラージヒル、団体で金メダル、ノーマルヒルで銀メダルを獲得。1999年世界選手権ノーマルヒルで金メダル。1999年に会社を設立、今日も幅広く事業を展開しながらジャンプに打ち込む子どもたちなどへの支援を行っている。また競技選手として現在も活動している。




