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海外サッカー

洪水災害で問われるスペイン国内でのサッカーの在り方…「我々が今、経験しているような集団的トラウマに晒された状況においては、サッカーはサッカーであり、サッカーでなくなる」

下村正幸

2024.11.10

試合前には黙祷が捧げられた。(C)Getty Images

試合前には黙祷が捧げられた。(C)Getty Images

 近代史上最悪と言われるバレンシア州を中心に襲った洪水災害を機に、スペイン国内ではサッカーの在り方が改めて問われている。「サッカーは人生におけるあまり重要ではないことの中で最も重要なものだ」とは、1980年代後半にミランの監督として黄金時代を築いたアリーゴ・サッキが口にしたとされる言葉だ。

 昨今もてはやされがちなサッカー選手だが、こうした国中を揺るがす大災害に見舞われる中、求められているのは、彼らもまた社会に生きる一員であること、すなわち連帯感を示すことだ。出身地のマサナサが大きな被害に遭ったオサスナのビセンテ・モレーノ監督は、記者会見中に感極まって泣き崩れ、2日のバジャドリー戦を指揮した後、車に乗り込み故郷へ直行。清掃作業に精を出した。あるいは被災地の州都をホームタウンにするバレンシアでも、ペペル、ガヤ、ジャウメ・ドメネクといった現役組からダビド・アルベルダ、ビセンテ・ロドリゲス、ロベルト・ソルダードといったOBまで関係者が被災地に駆けつけ、ボランティア活動に参加。本拠地のメスタージャは食料・飲料・生活必需品の保管場所と化していた。

 レアル・マドリーが100万€の義援金を送ることを決定し、バルセロナは、3日のエスパニョール戦で選手たちが着用したユニホームをオークションにかけ、集まった資金を寄付するという。そのラ・リーガ第12節、各スタジアムでは1分間の黙祷が捧げられた。

 しかし現状は個人、クラブ別の支援にとどまっており、『スポルト』紙の編集長、ジョアン・ベリス氏は、「すべてを失った人々のために、寄付活動をするにしても、サッカー界挙げての取り組みが不可欠だ。黙祷も必要な行為だが、被災者が本当に必要としているのは、人手であり、ユーロ(生活費)だ。それを提供することこそが連帯を示すことに繋がる」と訴える。
 
 そんな中、槍玉に挙げられているのが、集中豪雨による延期をバレンシア州で開催される試合に限定したラ・リーガの決断だ。「我々の意見はまるで参考にしてもらえない。誰も試合をすることを望んでいなかった。我々には決定権がないから、上の人間が決めたことに従わざるを得ない」と苦言を呈したカルロ・アンチェロッティ監督をはじめ、現場レベルでは「第12節の全試合を延期すべきだった」という声が噴出している。

 現在負傷中のバルセロナのフェラン・トーレスは、エスパニョール戦をモンジュイックで観戦予定だったが、故郷バレンシアの惨状に大きなショックを受け、許可を得たうえでスタジアム行きを取りやめ、SNSを通じて今回の災害を巡る政府の対応を批判した。

 全面延期に踏み切らなかったラ・リーガの決断については、現地の識者の中でも意見が分かれているが、その中にはサッカーだけがどうしてこうも非難の的にされるのかと疑問を呈する声もある。

 この議論についてジャーナリスト兼作家のルシア・タボアダ氏は、スペイン紙『AS』のコラムで次のように見解を述べている。

「なぜサッカーだけが活動を中断すべきと言われ、他のショーは言われないのだろうか? なぜ演劇や映画館、コンサートは中断せず、レストランやバルは休業しないのだろうか? なぜサッカーはより大きなコミットメントを持たなければならないのだろうか? この要求には少し偽善的なところがあるのではないだろうか? いずれの質問に対する答も私には分からないが、サッカーほど多くの人々が集まり、繋がりやアイデンティティーが称えられる場は他にないからなのかもしれない。サッカーが人々の鏡であるべきなら、今、人々は何かを祝おうという気分にはない。しかし一方で、満員のスタジアムほど連帯感を伝えるメッセージを発信することができる場所も他にはない。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。我々が今、経験しているような集団的トラウマに晒された状況においては、サッカーはサッカーであり、サッカーでなくなる」

文●下村正幸

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