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MLB

「若手エースとして活躍も酷使で成績悪化」「スピットボールを駆使」…マット・キーオが来日するまでの紆余曲折

宇根夏樹

2020.05.08

低迷時代の阪神のエースとして活躍したキーオ。来日するまでのキャリアも興味深いエピソードが多い。(写真)朝日新聞社

低迷時代の阪神のエースとして活躍したキーオ。来日するまでのキャリアも興味深いエピソードが多い。(写真)朝日新聞社

 先日、64歳で亡くなったマット・キーオは、かつて阪神タイガースのエースだった。1987~90年に在籍し、87~89年はイニング、白星、防御率のいずれも3年連続チーム1位。キーオが在籍した4年間、阪神は最下位が3回、5位が1回という低迷ぶりだった。キーオは“暗黒時代”と呼ばれた時代のタイガース投手陣で文字通り孤軍奮闘していた。

 一方、メジャーでは阪神時代の前後に計9シーズンを過ごし、58勝84敗、防御率4.17を記録した。こちらも、80~82年に3年連続で2ケタ勝利を挙げた。

 今から39年前に発行された『スポーツ・イラストレイテッド』誌の1981年4月27日号の表紙には、オークランド・アスレティックスの投手たちが写っている。タイトルは「アメイジングA'sと彼らのエース5人」。クラブハウスのロッカーの前でポーズをとる5人のうち、前列2人の向かって左側で笑みを浮かべているのがキーオだ。
 
 当時のアスレティックスは、ビリー・マーティン監督の下、総力を結集して勝ちをもぎ取る“ビリー・ボール”を標榜。その中の一つに先発投手のフル回転があった。80年の94完投も81年の60完投も、両リーグ2位のほぼ2倍。80年は5人揃って2ケタ完投に達し、リック・ラングフォード、マイク・ノリス、キーオの3人は、20完投以上を記録した。彼らの働きもあって、チームは80年に前年の地区最下位の7位から2位へ浮上。81年は前期優勝を飾った。

 しかし、アスレティックスの“エース5人”は酷使が祟り、いずれも短命に終わった。キーオも、80年に250.0イニングで防御率2.92を記録したのがピークだった。81年は140.1イニングで防御率3.40、82年は209.1イニングを投げたものの38本塁打を喫し、防御率は5.72まで跳ね上がった。83年途中にA'sから放出された後、3度の解雇を味わうなど短期間で多くのチームを渡り歩いた後、日本に活躍の場を求めたのだった。

 また、キーオはボールに変化を加えるため唾液や松ヤニを塗る違反投球スピットボールの使い手としても名を馳せていた。ある時、キーオがスピットボールで打者を空振り三振に仕留めたが、あまりにも変化が大きすぎたため審判がファウルと判定、次の球をホームランにされたという逸話も残っている。

 ちなみに、日本でもおなじみの『マネー・ボール』のタイトルは“ビリー・ボール”にちなんでいると思われる。原作には、アスレティックスのフロント陣の一人としてキーオも登場する。

文●宇根夏樹

【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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