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MLB

【MLB今日は何の日】ドラフト指名も現役引退も同じ日…マリナーズ史上最大の英雄グリフィーJr.の数奇なキャリア

出野哲也

2020.06.02

球史に残るスーパースターとして一時代を築いたグリフィーJr.は、16年に史上最高(当時)の得票率99.3%で殿堂入りを果たした。(C)Getty Images

球史に残るスーパースターとして一時代を築いたグリフィーJr.は、16年に史上最高(当時)の得票率99.3%で殿堂入りを果たした。(C)Getty Images

 シアトル・マリナーズは迷っていた。1987年6月2日の新人ドラフトにおいて、全体1位で誰を指名するべきか。オーナーのジョージ・アーガイロスは、すぐに戦力となる選手を欲しがり、カリフォルニア州立大学フラートン校の右腕投手マイク・ハーキーを推していた。だがディック・ボルダーソンGMら球団首脳の意見は一致していた。シンシナティのモーラー高校の外野手、ケン・グリフィーJr.こそ最高の素質に恵まれた逸材だと。結局、ボルダーソンGMの意見が通り、ドラフト前日にマリナーズとグリフィー家は契約金16万ドルで入団に合意した(メジャーでは指名前の事前交渉が認められている)。

 結果的に、グリフィーの指名はマリナーズ史上最も正しい決断となった。ドラフトからわずか1年半後、19歳でメジャーに昇格したグリフィーは、そのままメジャーを代表するスーパースターに成長した。成績だけでなく、野球を心底楽しむ姿がファンの心を捉え、球界を超えて全米規模の人気者になった。万年最下位だったチームも、グリフィーの活躍もあって徐々に戦力を整え、95年には球団創設以来初のプレーオフ出場を果たした。一方のハーキーは全体4位でシカゴ・カブスに指名され、通算36勝36敗、防御率4.49の平凡な成績で終わった。
 
 2000年、グリフィーは自ら希望して故郷のレッズへトレードされる。だが、移籍後は故障に加えて年齢的な衰えが進み、マリナーズ時代のような輝きは失われた。ホワイトソックスを経てシアトルへ戻ってきたのは09年。40歳となった翌10年も現役を継続したが、33試合で打率.184、0本塁打の不振に加え、試合中にベンチで居眠りしていたことが報じられて批判も浴びた。

 そしてドラフト指名からちょうど23年後の2010年6月2日、グリフィーは現役引退を表明した。かねてそうすると予告していた通り、記者会見を開くこともなく、プレスリリースを公表しただけで済ませた。この日のミネソタ・ツインズ戦、セーフコ・フィールドの二塁ベース後方にはグリフィーの背番号「24」が描かれていた。試合は延長10回裏、グリフィーを敬愛してやまないイチローがサヨナラ内野安打を放ち(打球は「24」の方向へ飛んだ)、球団史上最高のヒーローへのはなむけとした。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。​​​​

 
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