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プロ野球

田澤純一のNPB入団にはドラフトが必要!過去に指名を受けた元メジャーリーガーは…

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.07.13

9年にわたってメジャーでプレーし、レッドソックス時代にはワールドシリーズにも出場した田澤だが、NPB入りにはいくつものルールが立ちはだかる。写真:Getty Images

9年にわたってメジャーでプレーし、レッドソックス時代にはワールドシリーズにも出場した田澤だが、NPB入りにはいくつものルールが立ちはだかる。写真:Getty Images

 12日、田澤純一がBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。田澤はいわゆる“田澤ルール”によって、2年間はNPB球団と契約することができないが、日本のプロ野球でプレーするためには、もうひとつクリアしなければならない関門がある。日本国籍を持つ選手、もしくは日本の高校や大学に在学経験のある選手は、ドラフト指名を経なければNPB球団と契約することができないのだ。この「新人選手選択会議規約」によって、MLBでプレーしながらドラフトを経てNPB球団と契約した“元メジャーリーガー”は過去に3人いる。

▼マック鈴木
滝川二高(中退)→マリナーズほか→オリックス(2002年2位)

 マックはあだ名で、本名は鈴木誠である。傷害事件を起こして高校を中退し、団野村の紹介で16歳にして単身渡米。当初は球団職員兼練習生という肩書で洗濯係なども務めたが、徐々にマイナーリーグで頭角を表す。1996年にマリナーズでメジャーデビューし、日本球界を経由しない初の日本人メジャーリーガーとなった。その後はロイヤルズやロッキーズなどを渡り歩き、02年に日本球界復帰の意向を表明。同年のドラフトでオリックスから指名されたときは27歳だった。オリックスでは2年間で53試合に登板するも、通算防御率7.53と全く活躍できなかった。
 
▼マイケル中村
ウェズリー・カレッジ高→サウスアラバマ大→ツインズほか→日本ハム(2004年4位)

 父が日本人、母がオーストラリア人で、日本とオーストラリアの二重国籍を持つ。奈良県の生まれだが、3歳からはオーストラリアで育ち、高校卒業後にメジャー挑戦を志してアメリカのサウスアラバマ大に入学。97年にツインズと契約し、03年にメジャーデビューを果たす。メジャーでは通算31試合に登板し、04年オフにFAとなった後、日本ハムとロッテのトライアウトに参加。同年のドラフトで日本ハムから4位で指名される。この時27歳。来日後はリリーバーとして頭角を現し、06年には39セーブでタイトルを獲得。その後は巨人、西武と渡り歩き、12年に引退。通算288試合に登板して104セーブを挙げている。

▼多田野数人
八千代松陰高→立教大学→インディアンスほか→日本ハム(2007年大学・社会人1位)

 80年生まれの“松坂世代”の1人で、立教大時代は当時早稲田大にいた同学年の和田毅と並び称される存在だった。02年のドラフトでも上位指名は確実と言われていたが、指名はなくアメリカに渡り、インディアンスの入団テストに合格して契約。04年にメジャーデビューを果たす。アメリカでは“イーファス・ピッチ”と呼ばれる山なりの超スローボールを武器に、当時ヤンキースの主砲だったアレックス・ロドリゲスを三塁ゴロに打ち取ったこともある。メジャーでは通算15試合に登板するも、27歳だった07年にアスレティックスから解雇された後、同年のドラフトで日本ハムから1位指名を受ける。日本ハムでは先発を中心に、7年間で80試合に登板するも通算18勝に終わった。

 3人はいずれも27歳の時にドラフト指名を受けたが、田澤はすでに34歳。“田澤ルール”の存在もあって、契約できるようになるのは36歳になってからだと考えると、NPB復帰は厳しい道だといえるかもしれない。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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