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高校野球

史上最強と謳われる江川、通算13本塁打の清原、決勝でノーノーを達成した松坂――甲子園を席巻した“怪物”たち

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.08.10

98年夏、決勝戦でノーヒットノーランを達成した松坂は“怪物”だった。写真:産経新聞社

98年夏、決勝戦でノーヒットノーランを達成した松坂は“怪物”だった。写真:産経新聞社

 高校野球の歴史上、“超高校級”を超えて“怪物”扱いされた選手が何人かいる。圧倒的な実力と存在感からついた称号だ。今回は全国の高校球児たちの前に立ちはだかった“甲子園の怪物”たちを紹介しよう。

▼江川卓(作新学院)
出場:73年春・夏
言わずと知れた元祖“怪物”。なお、この異名は常人ばなれした剛速球だけでなく、耳が大きいところがマンガ『怪物くん』の主人公に似ていたことからつけられたものでもある。3年まで甲子園に出たことはなかったが、それ以前にも全国的に知られた存在だった。特に2年夏の栃木県予選では、3試合連続ノーヒットノーラン(うち1回は完全試合)。初めて甲子園に出場した3年春のセンバツでは、準々決勝まで1点も与えなかったが、準決勝は1対2で広島商に惜敗。再び県予選で3度のノーヒットノーラン達成を引っさげて乗り込んだ3年夏の甲子園では、雨天の中行われた銚子商業高との2回戦で延長12回にサヨナラ押し出し四球を与えて0対1で敗れた。結局1度も甲子園制覇は果たせなかったものの、全6試合で59.1回に投げて92奪三振。同時代の中の傑出度にかけては、史上最強と言っても過言ではないだろう。
 
▼清原和博(PL学園)
出場:83年夏、84年春・夏、85年春・夏
“怪物キヨマー”の異名を取った、並ぶものなき甲子園史上最強打者。名門PL学園にあって1年生から4番を打ち、同期の桑田真澄とともに83年夏から85年夏まで5季連続で甲子園に出場。不動の主砲としてチームを4度決勝進出に導き、1年夏と3年夏には全国制覇も果たしている。センバツ通算4本、夏の甲子園通算9本はすべて史上最多記録で、甲子園通算13本塁打ももちろん最多。2位はその半分の6本(桑田、元木大介、中村奨成)で、いかに傑出したパワーを持っていたかが分かる。2年夏には1試合3本塁打の最多記録も樹立。3年夏の甲子園では、準決勝と決勝で2試合連続マルチ本塁打を放ち、1大会5本塁打は当時の大会記録だった。記録が達成された宇部商との決勝戦を実況していた朝日放送の植草貞夫アナウンサーは、2本目を打った際に思わず「甲子園は清原のためにあるのか!」と絶叫したほどだった。
 

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