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プロ野球

新庄剛志で再脚光! 日本ハムの背番号「1」の系譜~大下や広瀬から“ハンカチ王子”まで

THE DIGEST編集部

2020.12.08

新庄が背番号「1」のユニフォームを着て14年ぶりの“登場”。現在は斉藤(左)が着ける日本ハム背番号「1」の歴史とは。写真:徳原隆元

新庄が背番号「1」のユニフォームを着て14年ぶりの“登場”。現在は斉藤(左)が着ける日本ハム背番号「1」の歴史とは。写真:徳原隆元

 7日、プロ野球12球団合同トライアウトが行われ、戦力外となった選手たちが必死のアピールを繰り広げた。しかし中心にいたのは、現役引退から14年が経ち、48歳にして現役復帰を目指した新庄剛志だったのは間違いないだろう。

 新庄が着用したユニフォームは、2006年に引退した日本ハム時代の背番号「1」。振り返ると、日本ハムの背番号「1」は、新庄以外にも数々の名選手が背負ってきた番号でもあった。

 1946年から現在に至るまで、日本ハムの背番号「1」は計17選手がつけてきた。その番号を一躍、有名にしたのが“暴れん坊軍団”の1番打者・大下剛史だ。プロ1年目に28盗塁を記録してベストナインを受賞した大下は、身長170cm前後と小柄だったが堅実な守備と負けん気の強さを誇り、70年にはシーズン4度の隠し球にも成功。もっとも、彼の全盛期は75年に地元・広島へトレード移籍してからで、盗塁王を獲得して“赤ヘル軍団”を初のリーグ優勝に導く活躍を見せている。

 大下の後は菅野光夫が11年間、背番号「1」をまとった。おそらく、多くの日本ハムファンにとって、菅野は鎌ヶ谷の選手寮の寮長としての印象が強いではないだろうか。ダルビッシュ有をはじめ「育成のハム」の陰の礎を築いた人物でもあった。
 
 そして菅野の後に背番号「1」を背負ったのが広瀬哲郎である。32歳の遅咲きでレギュラーに定着した“ガッツマン”は、ハッスルプレーとメガネ、スキンヘッド姿が印象的な選手で、何よりファンサービスの良さに定評があった。そして、この「伝統」が岩本勉らにも引き継がれていき、何より「ファンサービスの王様」と言っていい新庄にも及ぶことになる。

 その新庄と数々のパフォーマンスを行い、また鉄壁の外野トリオを組んだ森本稀哲が、“師匠”の引退後に1番を引き継いだ。2013年からは、前年に定位置をつかんだ外野手の陽岱鋼が背番号「1」に変更。新庄、森本、陽と外野の名手が連続して背負ってきたこともあり、「日本ハムの背番号1は外野手」という印象が強かったのだが、16年オフに陽が巨人へ移籍。すると、後任は驚きの人選となった。

 2010年のドラフトで4球団が競合した“ハンカチ王子”こと、斎藤佑樹が「18」から「1」に変更したのだ。直近4年間はわずか4勝に終わり、エース番号から“降格”となったわけだが、この背番号変更には本人も「うれしさはあったけれど、戸惑いというか、本当に自分がつけていいのかな。ファイターズの1番はスターの背番号のイメージがあった」と困惑したコメントを残している。

 そして悲しいことに、背番号変更から4年が経っているが、勝利数は背番号と同じ「1」、今季は再び故障に苦しんで初の一軍登板もなかった。斉藤が言うように、日本ハムの背番号「1」は何人ものスター選手が背負ってきた数字だ。そして、甲子園を沸かせた“王子”も、間違いなくスター性はあるはず。果たして来季こそ、その数字に応える活躍ができるだろうか。

構成●THE DIGEST編集部
 
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