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MLB

「生き残りたいならナックルを投げ続けろ」――ナックルボールとともに生きたフィル・ニークロの数奇な人生

豊浦彰太郞

2021.01.04

ニークロのナックルはあまりの変化量の大きさに、不正投球疑惑がかけられたほどだった。(C)Getty Images

ニークロのナックルはあまりの変化量の大きさに、不正投球疑惑がかけられたほどだった。(C)Getty Images

 殿堂入りもしている伝説のナックルボーラー、フィル・ニークロが、昨年12月26日に81歳で亡くなった。彼は2020年にこの世を去った7人目の殿堂入り選手で、その球歴は正に“Live and die with knuckleball”だった。

 ニークロは48歳になるまでメジャーで投げ続け、24年のキャリアで積み上げた通算318勝は歴代16位。5404投球回は、20世紀以降に投げた投手では最多で、40歳以降に積み上げた121勝も同じく最多と、彼の栄光は枚挙にいとまが無い。また、それらの実績は、ニークロが肉体への負担が少ないナックルボーラーであったことを抜きには語れない。

 高校を卒業したニークロが、19歳でミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約したのは1958年のこと。だが、メジャー定着は28歳だった67年と遅い。これはナックルボーラーをゲテモノ視(?)する球界の偏見が影響していたと言われている。
 
 ナックルボールの起源は諸説あるが、少なくとも20世紀初頭から存在していたと言われている。1950年代まではオフスピードピッチとしてレパートリーに加えている投手は少なくなかったようだ。しかし、その後は一度、ナックルボールは衰退してしまう。野球史家のロブ・ネイヤーはその理由として、緩急をつける球種としてチェンジアップが主流になったことに加え、各球団が投手コーチを配置するのが一般的になったことを挙げている。コーチたちは、その日の風の強さや湿度の影響を受け、パスボールやワイルドピッチのリスクを伴い、さらに盗塁もされやすいナックルボールを好まなかったのだ。

 また、投球のほとんどをナックルが占めるホイト・ウィルヘルムが52年にデビューし、救援投手として初の殿堂入りを果たすほどの大活躍を見せたことで、「ナックルボーラー=リリーフ向き」という正しくない固定観念も形成されていった。これらの要因もあって、ナックルボーラーでありながら先発投手だったニークロにとって、メジャーで地位を確立することは容易ではなかった。
 

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