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プロ野球

「東北に勇気と感動を与える」東日本大震災から10年、福島県出身のオリックス新人・古長拓が誓う支配下昇格

北野正樹

2021.03.11

古長は打撃フォームの改造に取り組み、支配下登録を目指している。写真:北野正樹

古長は打撃フォームの改造に取り組み、支配下登録を目指している。写真:北野正樹

 東日本大震災から11日で10年。オリックスに「仙台での試合に出場し、東北に勇気と感動を与えたい」と、バットを振る選手がいる。今季、育成ドラフト6位で入団した古長拓(こちょう・たく)内野手。楽天との試合に出場するために、支配下選手登録というハードルに挑戦中だ。

 福島県いわき市出身の古長は、地元中学から九州国際大付高に進学し、2年時に春夏の甲子園に出場。春は背番号「14」で3塁コーチャーを務めた。九州共立大では出場機会に恵まれず、社会人のNTT東北マークスを経て、独立リーグの福島レッドホープスに入団。巧みなバットコントロールで勝負強く、俊足好守をセールスポイントに2019年は開幕戦で4番に座るなど、44試合で打率2割3分9厘、15打点を残した。20年は代打や守備固めで打率は1割5分5厘に終わったが、オリックスからの指名を受け、SNSなどでは「打率2割以下で指名される選手とは」などとファンの関心を呼んだ。

 東北が震災に見舞われたのは、2年の時。選抜出場に向け同校の体育館で行なわれた壮行会の直後だった。寮に戻って寮母さんから「拓ちゃん、すごいことになっているよ」と知らされ観たテレビには、津波に飲み込まれるふるさとが映っていた。「現実なのか、夢なのか、わからなかった」。約3時間後、奇跡的に携帯電話が建設業の父・浩さん、母・操さんとつながった。家族も高台にある実家も無事だった。経営する飲食店がテナントとして入る、小名浜港で水揚げされた魚介類を販売する「いわき・ら・ら・ミュウ」は、2メートルを超す津波が押し寄せ、約8か月間、閉館を余儀なくされた。

 両親は「こっちは大丈夫だから、心配せず野球を頑張りなさい」と古長を励まし、浩さんが水道工事や会社にあったタンク車で住民が避難する公民館などへ給水活動をしたり、復旧・復興作業に携わったりしていたことなど被災者支援の実態と、被害のすさまじさは9か月後に帰省した時に初めて知った。
 
 昨年12月19日に大阪市内のホテルで行われた新入団選手の発表記者会見。「発生した時は福岡にいたが、テレビで観たのはとても大変な被害だった。大阪から勇気と感動を与えたい」と語った古長。そのためには、チームに20人(投手9、捕手4、内野手2、外野手5)もいる育成選手の競争から、支配下登録を勝ち取らなければならない。

 今、古長が取り組んでいるのが、打撃フォームの改造だ。164センチ、67キロ、右投げ右打ちの小兵。「僕に長打は求められていない。プロで通用するためには、出塁すること」と、キャンプでは一からタイミングの取り方を変えた。小谷野栄一・野手総合兼打撃コーチから「ヤクルトの山田哲人選手のタイミングの取り方を参考にしてみたら」とアドバイスを受け、バットを寝かしてヘッドを立てるように構えたら、リズムがよくなり「ボールが見えるようになった」という。

 キャンプ終盤の26日にフォームが固まり、27日のSOKKENスタジアム第2球場で行われた実戦では1軍で中継ぎの実績がある荒西祐大から、左翼線2塁打を放った。「すぐに結果が出てうれしかった。1軍の投手から打てたことも自信になった」と声を弾ませた。支配下選手になって、楽天と仙台の球場で対戦することを目標としてきたが、その試合は楽天2軍との対戦。楽天側の選手事情で古長はオリックスのユニホームを着て、楽天の「8番・二塁」で出場した。変則とはいえ、まずは楽天とのゲームは経験。次は、支配下選手になり、二桁の背番号で「楽天生命パーク宮城」で暴れまわる日を目指す。

文●北野正樹(フリーライター)

【著者プロフィール】きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。

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