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プロ野球

やんちゃレベルは中田翔以上!?“駒沢の暴れん坊”東映フライヤーズの記憶<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2021.08.20

東映の中心打者で、“暴れん坊”のイメージ形成に多大なる貢献をなした張本(左)と大杉(右)。大杉は92年に47歳で亡くなったが、その5年後に殿堂入りを果たした。写真:産経新聞社

東映の中心打者で、“暴れん坊”のイメージ形成に多大なる貢献をなした張本(左)と大杉(右)。大杉は92年に47歳で亡くなったが、その5年後に殿堂入りを果たした。写真:産経新聞社

 日本ハムの中田翔の暴行事件の報を聞き、ふと思い出したことがある。1950~60年代に世田谷区の駒沢野球場を本拠地としていた日本ハムの前身、東映フライヤーズには無頼の気風を持つ選手たちが集まっていた。人呼んで“駒沢の暴れん坊”。中心となっていたのは以下のような選手たちだ。

▼山本八郎
 そのものズバリ“ケンカ八郎”の異名を取った正捕手。猪突猛進なプレースタイルで人気を博したが、それが行き過ぎて2度も無期限出場停止処分を食らっている。1度目は58年5月、内野ゴロで一塁に駆け込んだ際にアウトの判定で激昂。一塁塁審を突き飛ばして退場処分になった後、さらに殴る蹴るの暴行を加えて出場停止を食らった。2度目は翌年5月のことで、ホームへのクロスプレーで猛烈な体当たりをかまして相手捕手と小競り合いになり、相手を殴ったことから退場&出場停止が下された。

 実は熱しやすく冷めやすい一面もあり、反省するのも早かった。最初の出場停止の時は事件翌日に暴行した審判の自宅に出向いて謝罪。さらにファンから処分解除を嘆願する署名が大量に届けられたこともあっておよそ1か月後に戦線復帰、被害者の審判とも握手で和解した。2度目の時は猛省のあまり、何と福井県の禅寺まで出向いて“修行”。3か月後に処分が解除された。普段は礼儀正しくおとなしい青年だったとの証言もあるが、引退後に解説者を務めていた時にも暴行事件を起こすなど、キレやすい一面があったのは間違いない。
 
▼張本勲
 中田とは別の件で今いろいろと渦中の人物ではあるが、この人の歯に衣着せぬ物言いや、悪役ぶった態度は現役時代からのもの。歴代最多タイの首位打者7回、同じく最多の通算3085安打と実力は折り紙付きで、その強烈な自負がアクの強いキャラクターを形作っていたようだ。やんちゃぶりもレジェンドクラスで、野村克也の“ささやき戦術”に対抗するため、空振りするフリをして野村の頭をバットで叩いたこともあったという。さらに汚い野次を飛ばした選手の太腿をスパイクで蹴り上げて怪我を負わせるなど、暴れん坊エピソードには事欠かない。

 しかしその実、人情家で涙もろい一面もあった。特に女手一つで育ててくれた母親に対する畏敬の念は深く、「母を楽にするためにプロ野球選手になった」と公言していた。そのため、野村に「あのピッチャーの母親が故郷から見に来ている」などとささやかれて、闘争心が大きく削がれてしまうこともたびたびだったという。中田と同様に後輩への面倒見も良かった。両親が韓国出身だったことも手伝って、韓国人の白仁天を特に可愛がり、日本になじむ手助けをしたりもした。
 

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