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“ビッグボス”新庄剛志も続く?プロ野球界を席巻した3人の「風雲児監督」<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2021.11.27

風雲児監督の元祖・金やん。数々のパフォーマンスで選手よりも目立っていた。写真:産経新聞社

風雲児監督の元祖・金やん。数々のパフォーマンスで選手よりも目立っていた。写真:産経新聞社

 日本ハムの新監督に就任した新庄剛志の一挙手一投足が大きな話題を集めている。これまでの球界の常識を覆す数々の言動や行動は、まるで新時代の到来を告げる“風雲児”のようだ。だが、こうした破天荒な監督は、実は新庄が初めてではない。強烈なインパクトを残した“風雲児監督”たちを紹介しよう。

▼金田正一(ロッテ/1973~78年)
 史上最多の通算400勝を挙げた大投手である金田が、ロッテの監督に就任したのは1973年のこと。4年前に現役を引退してからはコーチの経験もなく、「タレント監督」と揶揄する声もあった。
 
 実際、パフォーマンはかなり派手だった。試合中は常に三塁コーチャーズボックスに立ち、試合が動くたびにオーバーなアクションで動きまくった。腕や足を高く上げる代名詞の「金やんダンス」も人気を博し、「試合よりも金田のパフォーマンスの方が面白い」という声すら出た。だが、金田は自分が目立つことだけを考えていたわけではない。徹底的な走り込みで投手陣を鍛え上げ、就任2年目の74年には見事チームを日本一に導いた。

 だが、騒動にも事欠かなかった。不人気球団だったロッテの観客動員アップを狙い、太平洋クラブ(現西武)ライオンズの稲尾和久監督と結託してライバル関係を煽る“遺恨試合”を演出。だが、そのためにプロレスじみた挑発を繰り返した結果、太平洋ファンが激怒。試合後に暴動が起こって機動隊が出動するなど、もはや金田本人にもコントロール不能となってしまった。金田があまり「名将」と呼ばれないのは、このような面が災いしているのだろう。
 

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