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プロ野球

“一芸枠”として期待されたドラ5が虎の支えに。青柳晃洋が無双を続ける理由「他球団のエースに負けたくない」

チャリコ遠藤

2022.06.28

堂々たる投球で阪神の先発ローテを支える青柳。まさにエースと呼べる内容を見せているが、ここに至るまでには紆余曲折の物語があった。(C)産経新聞社

堂々たる投球で阪神の先発ローテを支える青柳。まさにエースと呼べる内容を見せているが、ここに至るまでには紆余曲折の物語があった。(C)産経新聞社

「エース」の冠に何の違和感もなくなった。

 チームをけん引する強い自覚と、その思いを見事に体現した圧倒的なスタッツ。阪神タイガースの青柳晃洋の“無双”が止まらない。

 8勝、防御率1.49、勝率.889は揃ってリーグトップで堂々の「3冠」。自軍どころか球界を見渡しても屈指のスターターの仲間入りを果たしている。昨年も自己最多の13勝を挙げるなど先発陣の一角として欠かせぬ存在となったが、今年は投球の質がさらに向上。初登板からの4試合のうち3試合を1人で投げ切って3勝、うち2度はチームの連敗を止める価値ある白星だった。

 初黒星が付いた5月6日の中日ドラゴンズ戦も相手エースの大野雄大と息詰まる投手戦を延長10回まで繰り広げ、その日初めての失点で無念のサヨナラ負け。直後、ベンチで「すいません…」と漏らした。チームを背負う覚悟、自覚が凝縮された一言だった。

 虎の背番号50はどのようにしてエースへの階段を登ってきたのか。
 
 青柳は15年のドラフト5位で帝京大学から阪神に入団。1年目からローテーション入りしてフル回転を求められる即戦力というよりも、当時は下手投げ変則の強みを生かした“一芸枠”としての大化けを期待されていた。

 当初は荒削りの素材がそのままマウンドにも表れた。ルーキーイヤーの16年3月5日のオープン戦で“1軍デビュー”を果たすも、先頭打者から3連続四球、10球連続ボールの大荒れだった。しかし、当時の金本知憲監督は「代えようとは思わなかった。落ち着くのを待ってあげようと思ったから。すごい良いボールを投げていた」と潜在能力を高く評価していたのを覚えている。

 筆者も時を同じくしてタイガースの同僚からよくこんな声を聞いた。

「青柳とキャッチボールするのはめっちゃ怖いんですよ。ボールが強いし、何よりあのフォーム。迫ってくる感じで、バッターは相当打ちにくい」

“覚醒”の時はまだでも、周囲をうならせるだけの潜在能力を秘めているのは確かだった。

 入団から3年間は1軍の先発ローテーションに定着できなかった。それどころか、制球難、フィールディング、苦手の左打者など弱点は1つだけではなかった。

 ただ、下位指名でプロの世界に飛び込んだ男には、地道に努力を積み重ねる時間と、労を惜しまないという能力があった。それによって青柳はファームで着実に課題を克服した。いまや“代名詞”となった一塁へのワンバウンドスローは、送球ミスが多かったために「アウトを取る手段として覚えた」という下積み時代に会得したものだった。
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