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プロ野球

王さんが監督じゃなかったら俺は成功できなかった――クロマティが振り返る日本での7年間【インタビュー】

2019.11.29

底抜けに明るいキャラクターで人気を集めたクロマティ氏。今季は臨時コーチとして古巣ジャイアンツのリーグ優勝に貢献した。写真:茂木あきら(THE DIGEST写真部)

底抜けに明るいキャラクターで人気を集めたクロマティ氏。今季は臨時コーチとして古巣ジャイアンツのリーグ優勝に貢献した。写真:茂木あきら(THE DIGEST写真部)

 かつて、ゴールデンタイムで毎日、プロ野球が放映されていた時代があった。そして、その大半は巨人戦だった。「江川」、「原」、「中畑」、「篠塚」……といった名前は、とりたてて野球が好きでもない人にも名字だけで通じるほどネームバリューがあった。

 そんな時代に、とりわけ個性を放っていたのがウォーレン・クロマティだった。独特のクラウチング・スタイル(当時、あの打撃フォームを真似しなかった野球少年がいただろうか?)やユニークな歌詞(「楽をしてもクロウ、クロウ、苦労してもクロウ、クロウ」)が耳に残る応援歌、チューインガムをふくらませたり、客席に向かってバンザイするなどのパフォーマンス……。「紳士の球団」にはちょっとミスマッチの親しみやすさからか、アンチ巨人からも人気を集めていた彼は、プロ野球がお茶の間の主役だった最後の時代のヒーローだった。

 今年は臨時打撃コーチとして古巣のリーグ優勝に貢献したクロマティ氏が、日本時代の思い出を振り返ってくれた。

――あなたは日本でとても大きな人気を集めていましたが、実はメジャーリーグでも素晴らしい実績を残しています。

その通り。俺は日本に来る前から有名だったんだ。
――メジャー時代の成績を見ると、1977~80年にかけて4年連続で安打数ナ・リーグトップ10に入っています。これはなかなか凄いことですよね?

そうだね。安定性の高さについては、自分でもプライドを持っていた。ピート・ローズが憧れだったから、二塁打にこわだっていた。シーズン46本打った年もあった(※79年、リーグ2位)。あのクラウチング・スタイルもローズの影響なんだ。

――日本に来る前のあなたはラインドライブ・ヒッターだったわけですね?

そう。俺はずっとライトからレフトまで全方向にライナーを飛ばすタイプの打者だった。年を取ってからパワーもついてきたけどね。強調しておきたいのは、毎日プレーしたことだ。ある年には全162試合に出場したこともあった(※80年)。そのことについても、すごく誇りに思っているんだ。

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