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【玉木正之のベースボール今昔物語】ダフ屋で買った50ドルのチケット、摩天楼の中の球場、治安最悪の帰り道……43年前のドジャースvsヤンキースのワールドシリーズと時代の情景<SLUGGER>

玉木正之

2024.10.25

今季を除けば、ドジャースとヤンキースが頂点の舞台で最後に顔を合わせた81年ワールドシリーズ。ドジャースが世界一を決めたのも、著者が見ていたのと同じ旧ヤンキー・スタジアムでだった。(C)Getty Images

今季を除けば、ドジャースとヤンキースが頂点の舞台で最後に顔を合わせた81年ワールドシリーズ。ドジャースが世界一を決めたのも、著者が見ていたのと同じ旧ヤンキー・スタジアムでだった。(C)Getty Images

 2024年のワールドシリーズは、大谷翔平、山本由伸の両日本人選手を擁するロサンゼルス・ドジャースと、名門ニューヨーク・ヤンキースの激突となった。アメリカ大陸の西部と東部を代表する超人気球団がワールドシリーズで対戦するのは、1981年以来43年ぶりの出来事......と聞いて、私は座っていた椅子から飛び上がるほど興奮した。まさに43年前、私は旧ヤンキー・スタジアムの一角で胸を躍らせていたのだから。
 
 私が29歳の時だった。前年秋に成績不振から巨人の監督を解雇され、“浪人生活”を送っていた長嶋茂雄氏がMLBポストシーズンの試合を視察しているとの情報を得て、独占インタビューを取るべく渡米。モントリオールでエクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)とドジャースの一戦を観戦していた長嶋氏を、市内の高級ホテルで直撃。まずはインタビューをモノにすることに成功したのだった(その内容は現在も『定本・長嶋茂雄』(文春文庫)で読むことができる)。

 その後、ナ・リーグ優勝を決めたドジャースはニューヨークに移動。ヤンキースとのワールドシリーズを戦うと知り、このチャンスを絶対に逃してはいけないと私も深夜の特急でニューヨークへ移動。安宿に転がり込み、翌日ヤンキー・スタジアムのナイトゲームに臨んだのだった。
 
 もちろんチケットは持っていない。そこで試合の始まる3時間ほど前から球場周辺をぶらついていたら、「Da Yah wanna ticket?」(チケットいるかい?)と小声で近寄ってくるダフ屋と遭遇した。最初は100ドルと言っていた革ジャンにヒゲ面の黒人男と交渉し、20分以上粘りに粘って、はるばるやってきた日本人の一生に一度のチャンスだと最後は泣き落としに出たら、顔に似合わず優しい彼は50ドルまで値を下げてくれた(正規価格は15ドルだったが)。

「Not second floor?」(2階席じゃないよね?)と訊くと、「Ofcourse!」(もちろん!)との答え。喜び勇んでで球場の三塁側内野席に入ると、何と私の席は3階の一番上だった。旧ヤンキー・スタジアムはグラウンド・シートとアッパー・シートの間に、7~8列程度のVIPシートがあったのだ。それを「セカンド・フロアー」と読んだ私のミスだったか……と悔やみながらも、長いエスカレーターと階段を登って席に着くと、まずはカクテル光線に浮かび上がった、眼下に広がる深緑の芝生の美しさに大感激した。おまけに最上段の席の後方に見えたのは、マンハッタンの超高層ビル群の夜景。夜空に向かってそびえて光り輝く夜の摩天楼を背景にしたボールパークは、未来都市のような絶品の眺めだった。

 そうこうするうちにオープニング・セレモニーが始まり、名バリトン歌手ロバート・メリルがアメリカ国歌を熱唱するのを聞いた。「ノーマイクなのか?」と思えるほどの朗々たる歌声が広いスタジアムの隅々にまで響き渡った後で、試合が開始した。

 ゲームはヤンキースの先発ロン・ギドリーの好投や、のちにイチローが入団した頃のマリナーズの監督としても有名な4番打者ルー・ピネラの活躍などで、ヤンキースが5対3で勝利。私が大好きだった球史に残る大打者レジー・ジャクソンも、当時ナ・リーグを席巻していたメキシコ出身のルーキー左腕フェルナンド・バレンズエラも出場しなかったが、2人の雄姿は以前見ていたので不満はまったくなかった。
 
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