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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part3後編】相次ぐケガで輝きを失うも、現役最終戦で伝説のパフォーマンスを演じ有終の美を飾る

大井成義

2020.03.20

「チームが疲れ切っていた」という11年は、カンファレンス準決勝でマブズにスウィープ負け。3連覇はならずジャクソンHCは退団した。(C)Getty Images

「チームが疲れ切っていた」という11年は、カンファレンス準決勝でマブズにスウィープ負け。3連覇はならずジャクソンHCは退団した。(C)Getty Images

■2度目の3連覇の夢は絶たれ、自身は度重なるケガで長期離脱

 史上最高のバスケットボール選手を目指すコビーにとって、ジョーダンの優勝6回に追いつき追い越すことは、究極の目標だった。2度目の3連覇を達成すべく、10-11シーズンに臨んだ。

 オフには3度目となる右ヒザの関節鏡視下手術を受け、不安を抱えてのシーズン突入だったが、それでもコビーは開幕からエンジン全開で突っ走った。開幕8連勝を飾った後も順調に勝ち進み、オールスターでは歴代タイ記録となる4度目のMVPを獲得。

 だが、第2シードで臨んだプレーオフのカンファレンス準決勝で、この年初優勝を飾るマブズにスウィープ負けを喫する。コビーはオフのインタビューで、「プレーオフで苦しんだ最大の要因は、間違いなく疲労だったと思っている。チームの誰もが疲れ切っていた」と無念そうに語った。

 2度目の3連覇の夢は破れ、ジョーダンに並べなかったどころか、ジャクソンもチームを去っていった。この年を境に、コビーとレイカーズはゆっくりと下り坂を転がっていくことになる。
 
 プレーオフ敗退から3週間が経った頃、コビーはドイツに渡り右ヒザのPRP(多血小板血漿)再生療法による治療を受けた。11-12シーズンはヒザの痛みに加え、右手首にも故障を抱えながらのプレーとなったが、それでも大量得点を重ね続け、1月にはキャリア6度目となる4試合連続での40点以上を記録する。オールスターでは通算得点を271まで伸ばし、ジョーダンの持つ歴代最多記録を塗り替えた。

 プレーオフは第3シードで臨み、カンファレンス準決勝でケビン・デュラント率いる若く活力に溢れたサンダーと対戦、1勝4敗で脆くも敗退する。

 オフにはロンドン・オリンピックに参加し、2個目の金メダルを獲得した。最年長のコビーは33歳、他はすべて20代以下。全8試合に先発し、若いチームを豊富な経験で支えた。代表戦を無傷の36連勝で締めくくったコビーは、大会後に代表からの引退を表明する。

 この頃から、複雑な関係だったシャックとの雪解けが徐々に進んでいった。

 迎えた12-13シーズン、12月5日に通算3万得点を史上最年少の34歳と104日で達成(現在の記録はレブロンの33歳と24日)。

 シーズン最終盤になると、故障者が続出していたこともあり、コビーの出場時間は増す一方だった。開幕から73試合目までの平均出場時間は37.9分、それが3月30日からの7試合は平均45.8分と激増。コビーの身体は悲鳴をあげ始めていた。
 
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