専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

「グラント・ヒルは最初のレブロン・ジェームズだった」元ファイナルMVPやチームメイトが語ったオールラウンダーの凄さとは?

ダンクシュート編集部

2020.03.19

ピストンズ時代はリーグ屈指のオールラウンダーとしてオールスターの常連だったヒル。キャリア3年目の1996-97シーズンにはリーグ最多となる13試合でトリプルダブルを達成している。(C)Getty Images

ピストンズ時代はリーグ屈指のオールラウンダーとしてオールスターの常連だったヒル。キャリア3年目の1996-97シーズンにはリーグ最多となる13試合でトリプルダブルを達成している。(C)Getty Images

 現代のNBAは“キング”ことレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)を筆頭に、昨季MVPのヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス)、ルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)、ラッセル・ウエストブルック(ヒューストン・ロケッツ)らオールラウンドプレーヤーがリーグを席巻している。遡れば、オスカー・ロバートソンやマジック・ジョンソンら“ミスター・トリプルダブル”らが存在するが、レブロンが台頭する以前にその地位を築いていたのがグラント・ヒルだった。

 1994年のドラフト1巡目3位指名でデトロイト・ピストンズ入りしたヒルは、1年目からエースの座に就きいきなりオールスターに出場。平均19.9点、6.4リバウンド、5.0アシスト、1.77スティールをあげてマーベリックスのジェイソン・キッドとともに新人王に輝いた。翌シーズンからは5年連続で平均20点超え、1999-2000シーズンにはキャリアハイの平均25.8点をマーク。稀代の万能戦士としてリーグを代表する看板選手として君臨した。

 しかし、オーランド・マジックへ移籍した2000年に足首を骨折。以降は度重なる足首の故障に苦しめられ、思うようにコートに立てず徐々に輝きを失っていった。2007年に加入したフェニックス・サンズではロールプレイヤーとして5年間奮闘したが、ロサンゼルス・クリッパーズに在籍した2012-13シーズンを最後に、現役を引退した。

 2018年にバスケットボール殿堂入りを果たしているヒルだが、ケガさえなければ、おそらく今以上の地位を築いていたことだろう。

 2004年にピストンズを優勝に導き、ファイナルMVPを獲得したチャンシー・ビラップスは、『NBA TV』の番組でヒルについて言及。「グラント・ヒルは最初のレブロン・ジェームズだった。簡単に言えば、トリプルダブルやディフェンスもしてゲームを支配する点がそうだ。彼はすべてをこなす。それ以前にそういう選手はいなかった」と称えている。
 
 当のヒルも、オールラウンダーとしての共通点をレブロンに感じているという。

「ゲームへのアプローチの仕方、多才さ、役割、得点・リバウンド・アシストでチームを牽引していた部分は似ていると思う。僕らはサイズがありながらボールハンドリングができ、ポイントフォワードとして、様々な方法でゲームにインパクトを残した。彼のほうが長い期間、それをやり続けたとはいえ、類似点はいくつかあると思う」

 ただ、ピストンズでチームメイトだったグラント・ロングは、ヒルの方がより“自然体”だったと考えているようだ。

「彼(ヒル)はありのままの自分に一切の不安を持っていなかった。ある日、コーチは彼に3ポイントを打たせようとした。そこで言ったことを鮮明に覚えているよ。『いや、テリー・ミルズは(僕よりも)より優秀な3ポイントシューターです』。彼は自分のプレーを把握し、何が効率的かと理解しているから、そう言うことに何の躊躇もなかった。人々はレブロンがあまりにパスをしすぎると言う。『なぜ彼は自分が優秀なのに、他の選手を立てるのか』とね。その点でグラント・ヒルは“キング”だった。彼は自分よりも優れた人間がいることを理解していたんだ。自分の才能を認識しながらも、自分でやりすぎないようにコントロールしていた。彼は自分ができることをやっていたが、ただそれだけでも十分すぎるほどだった」

 ヒルからレブロン、レブロンからまた次の世代へ――。超絶オールラウンダーのサイクルは今後も続いていくに違いない。

構成●ダンクシュート編集部

【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号