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NBA

アイザイア・トーマスに加え、変わり種が多く指名された“異色選手の当たり年”。日本人初指名“伝説の巨人”の名も【NBAドラフト史:1981年】

大井成義

2020.04.07

本来は1位で指名されるべきだったアイザイアだが、ドラフト前の傍若無人な振る舞いもあり、2位へと“格下げ”となった。(C)Getty Images

本来は1位で指名されるべきだったアイザイアだが、ドラフト前の傍若無人な振る舞いもあり、2位へと“格下げ”となった。(C)Getty Images

 1980年代後半にNBAを席巻した“バッドボーイズ”ピストンズ。その総帥として悪名高いのがアイザイア・トーマスだ。そのトーマス以外に、1981年ドラフトはこれといったNBAスターを輩出していない。しかし、入団に至らなかった選手も含めれば、異色のアスリートが多数指名された年だった。

■下位指名に興味深い顔ぶれが揃っていた1981年ドラフト

 NBAの前身であるBAAの第1回ドラフトが開催されたのは、第二次世界大戦後間もない1947年。それから2019年に開催された第73回NBAドラフトまで、いったいどれだけの選手が指名され、そのうち何人がNBAのコートに立ったのか、ふと気になったので調べてみた。

 ずいぶん前には1人で複数回指名された例もあるようなので、若干の誤差はあるかもしれないが、これまで指名された選手は全部で8023人。その約4割にあたる3379人が、公式戦で最低1度はプレーしている。つまり、過去73年間に誕生したNBA選手の総数は3379人ということになる。

 不憫なのは、檜舞台に1秒も立てなかった残り6割の選手たちだ。夢のNBAから指名されながら、チャンスを掴めなかった4644人の若者たち。彼らの多くは、NBAのレベルでプレーするだけの実力が足りなかったか、もしくは相応の能力はあっても、熾烈な競争に生き残れなかった、ということになるのだろう。なかには、ドラフトで指名されながら、NBAにトライしない道を選んだアスリートも一定数いたようだ。
 
 今回採り上げる1981年ドラフトで指名された選手の数は全部で223人。うちNBAのコートに立てたのは58人で、残りの165人は夢を叶えられなかったり、諸事情によりNBAへの挑戦を選択しなかった人たちになる。

 そのなかの1人が、日本人初のNBAドラフト指名選手、岡山恭崇だ。2019年6月、ゴンザガ大の八村塁が1巡目9位で選ばれて大きな話題となったが、その40年近く前に日本人選手が指名されていたのである。

 2003年、『NBA.com』は“ドラフト史の面白トピック:風変わりなドラフト指名選手”というタイトルのコラムで10人のアスリートを紹介しており、いの一番で岡山を採り上げている。説明文の書き出しは、“ヤオ・ミンやジョージ・ミュアサン、マヌート・ボルの前に、ヤスタカ・オカヤマがいた”。

 そのリストには、1981年組のドラフト選手からもう1人リストアップされている。それ以外にも、数人の異色アスリートが指名された1981年のドラフトは、どうやら変わり種の当たり年だったようだ。
 
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