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NBA

「ジョーダンにノーと言える数少ない人間」ブルズ黄金期の土台を築いた“名GM”ジェリー・クラウスが残した功績

杉浦大介

2020.04.24

スカウト時代には、アール・モンロー、ウェス・アンセルドといった殿堂入り選手を発掘した目利きでもあった。(C)Getty Images

スカウト時代には、アール・モンロー、ウェス・アンセルドといった殿堂入り選手を発掘した目利きでもあった。(C)Getty Images

 1997-98シーズンのシカゴ・ブルズに密着して撮影したドキュメンタリー映画『ザ・ラストダンス』が、4月20日から「Netflix」で配信がスタートした。Twitterでは、この“ザ・ラストダンス”が一時トレンド1位になるなど、世界中で大きな話題を呼んでいる。

 10部作の本作は、4月24日時点でエピソード1と2が公開されているが、マイケル・ジョーダンやスコッティ・ピッペンが度々話題に挙げている人物が、ゼネラルマネージャー(GM)のジェリー・クラウスだ。ブルズに6度の優勝をもたらしながら、あまり評価されることのなかった、“名GM”の功績を再考する。

   ◆   ◆   ◆

GMとして卓越した手腕を発揮しブルズに6度の栄冠をもたらす

 2017年3月21日、ブルズの元GM(バスケットボール部門社長)ジェリー・クラウスが77歳で亡くなった。この報せを聞き、1990年代のブルズの躍進に夢中になったファンの胸には何がしかの思いが去来したのではないだろうか。いずれにせよ、多くのブルズファンにとって、クラウスが決して忘れられない人物だったことは間違いない。

 1939年4月6日にシカゴで生まれたクラウスは、ブラッドリー大を卒業した61年にMLBのスカウトとしてプロスポーツに携わるキャリアをスタート。70年代初めには、故郷のNBAチームであるブルズのチーフスカウトに就任する。その後、一時はMLBのスカウトに戻るも、ジェリー・ラインズドーフ率いるグループが球団のオーナーになると、85年にブルズのGMに就任。以降、84年に入団したジョーダンを軸にしたチーム作りに着手していった。
 
 87年のドラフトでは1巡目10位でホーレス・グラントを指名するとともに、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が5位指名したスコッティ・ピッペンをトレードで獲得。翌年にはチャールズ・オークリーをニューヨーク・ニックスに放出してセンターのビル・カートライトを加えるなど、着実にチーム作りを進めていった。

 選手補強だけではなく、87年にはマイナーリーグのCBAで指揮を執っていたフィル・ジャクソンをアシスタントコーチに招聘。さらに89年には、NBAで指揮官の経験がなかったにもかかわらずヘッドコーチに抜擢した。これらの施策がどんな結果をもたらしたかは、もはや語る必要すらないだろう。

「ジェリーは90年代のブルズ黄金期におけるキーパーソンだった」。

 これは、クラウスの死に際してのジョーダンのコメントだ。実際にブルズGM時代の実績を振り返れば、彼の評価は不当と言えるくらいに低い。その理由は、多くの栄光の立役者になった一方で、悪評も少なくない人物だったからだろう。
 

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