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NBA

「ルールは自分が決める」強烈な個性でNBAを生き抜いたアイバーソンが貫き通した“信念と掟”

北舘洋一郎

2020.04.27

厳しい環境で育ったことで染みついた「ルールは自分が決める」という生き方を、アイバーソンはNBAに入ってからも貫き通した。(C)Getty Images

厳しい環境で育ったことで染みついた「ルールは自分が決める」という生き方を、アイバーソンはNBAに入ってからも貫き通した。(C)Getty Images

「ルールは自分が決める」

 これが、アレン・アイバーソンの生き方だった。

 ゲットーで生まれ育ったアイバーソンは、ストリートから人生を学んでいった。ルールは自分が決める、そうしないとほかの誰かが勝手にルールを決めてしまう。支配するか、支配されるか、選択肢はふたつにひとつ。そんな環境が彼の生きていた世界であり、感受性豊かな少年期に体に染み込んだそれらの習慣を、NBA入りしたからといって簡単に拭い去ることは難しかった。

 人生でも、ストリートでも、そしてコート上でも他人に挑戦し、ルールに挑戦する。それがアイバーソンの掟のようなものになっていた。

「バスケットボールはバスケットボールでしかない」

 アイバーソンは口癖のようにこの言葉を繰り返していた。それはいかにもアイバーソンらしく、シンプルで尖った言葉だった。
 
 その出で立ちや「(マイケル)ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)をリスペクトしない」といった発言から、「ギャングスタがNBAにやってきた」などとメディアに書き立てられ、ヒールのイメージを植えつけられたのは事実だ。しかし、アイバーソンの行動や発言は、次のような信念に基づいてのことだった。

「自分は他人とは違う。他人の言いなりにはならない。それを示しているだけだ」

 彼にとって“ルールを破る”ということは、自分自身がルールを作り、自らの居場所や縄張りを守るためのことだったと本人は言う。そして、こうも話していた。「もしジョージタウン大に入学できていなければ、今頃もうこの世にはいなかったかもしれないし、牢屋にぶち込まれていたかもしれない。自分はたまたま運が良かった」と。

 また、引退後になってようやく、アイバーソンがフィラデルフィア・セブンティシクサーズでプレーしていた頃のヘッドコーチ(HC)であり、最大の師であるラリー・ブラウンが言っていたことがわかったのだという。アイバーソンはブラウンから「バスケットボールは野球やフットボールとはまったく別のスポーツだということを理解しろ」と言われていたそうだ。

「チームプレーが最も重要とされるのはバスケットボールだ。スコアをあげるのがチームのトップ選手とは限らない。高額年俸のプレーヤーがリームリーダーとも限らない。チームメイトに活躍の場を作ってあげる選手こそが、真に優れた存在なんだ。バスケットボールは、能力に恵まれたプレーヤーがエゴを抑え、チームのために自己規律を課す時、その選手本来の能力が発揮できる唯一の競技だ」と、ブラウンはアイバーソンに何度も諭したという。
 
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