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NBA

ジョーダンに「彼がプレーする限り、私も引退するわけにはいかない」と言わしめた男――“バッドボーイズ唯一の良心”ジョー・デュマース

北舘洋一郎

2020.05.01

ルーキー時代のヒル(左)にプロの心得を説いたのがデュマース(右)だった。(C)Getty Images

ルーキー時代のヒル(左)にプロの心得を説いたのがデュマース(右)だった。(C)Getty Images

 NBA選手にとってどのチームに所属し、どうやって結果を残していくのかというのは非常に重要な問題だと、グラント・ヒルは話す。

「ルーキーにはドラフトという制限があって、指名されたチームでプレーするのが義務となる。もちろんトレードで移籍することもあるが、それも含めてチームにすべての決定権がある。フリーエージェントの権利を得るまでは、まずは決められたチームで結果を出すことにフォーカスしなければならないんだ」

 ヒルも先にNBA入りしていたデューク大の先輩に「プロの世界はどんなものか」と聞いてはいたものの、ルーキーの頃は右も左もわからず、未知の世界へいきなりぽつんと置かれたように感じたそうだ。大学時代からバスケットボール界のなかでトップの優等生として知られ、精神的にもプロ向きと評価されていたヒルでもそうだったのだから、やはりNBAの世界には“立ち入ったものにしかわからない空気感”が存在するのだ。
 
 そんなヒルにとって、若手時代を過ごしたデトロイト・ピストンズの当時の大黒柱、ジョー・デュマースの存在は大きかった。

「色々な準備が必要だった。バスケットボールに一番集中しなければいけない時期なのに、住居やスポンサーとの契約など、学生時代にはこれっぽっちも考えなかったことをたくさんやらなければならなかった」とヒル。その時、プロの心得を教えてくれたのがデュマースだったという。

 デュマースはピストンズ一筋でキャリアを全うした地元の英雄で、1989、90年には連覇を経験。テクニカルファールを取られることも気にしないダーティーなディフェンスが売りだった“バッドボーイズ”時代のチームにあって、デュマースだけはアイザイア・トーマス、ビル・レインビア、デニス・ロッドマンといったほかの主力とはプレーの哲学が違っていた。

 実際に、ピストンズと何度も対戦したマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)はデュマースについてこう話している。

「私とマッチアップするのはいつもデュマースだった。彼のスタイルは正統派で、いつも正々堂々と勝負してくれたよ。私は敏捷性と跳躍力でデュマースを圧倒したが、彼は正確なジャンプシュートとチェンジ・オブ・ペースで私を苦しめた。ピストンズがただのラフプレー集団なら、ここまで手こずらなかっただろうね。そのなかにデュマースという正統派がいたからこそ、打ち破らなければなければならない壁が二重にも三重にもなったように感じたんだ」
 
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