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NBA

ジョーダンとドレクスラーがブレイザーズでチームメイトになっていたら? 1992年に両選手が口にしていた言葉とは?

秋山裕之

2020.05.20

1992年のファイナルで敵対したジョーダンとドレクスラーだが、もしチームメイトになっていたら……(C)Getty Images

1992年のファイナルで敵対したジョーダンとドレクスラーだが、もしチームメイトになっていたら……(C)Getty Images

 1990年代を代表するシューティングガード(SG)、クライド・ドレクスラー(元ポートランド・トレイルブレイザーズのエースとして90、92年と2度のNBAファイナル進出を果たし、通算10度のオールスター、5度のオールNBAチームに選出。92年のバルセロナオリンピックでは“ドリームチーム”の一員として金メダルを手にした。

 ドリームチームでチームメイトだったマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)とは、92年のNBAファイナルで激突し、“リーグ最強のSG対決”を演じたことでも知られている。

 もっとも、ジョーダンはドレクスラーを自身と同格とは見ていなかった。1997-98シーズンを追跡したドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』の第5話で92年のファイナルを振り返るシーンで「クライドは危険な存在だった。だが彼と比較されることに、俺は腹が立っていた」と明かしていた。

 この年のファイナルは、ジョーダンが第1戦でドライブを警戒するドレクスラーの裏をかき、前半だけでファイナル新記録となる6本の3ポイントを放り込む大暴れ。早速格の違いを見せつけたジョーダンはブルズを快勝へと導き、シリーズも4勝2敗で制して2度目の優勝を飾った。
 
 シリーズ平均で見てみても、ジョーダン(35.8点、4.8リバウンド、6.5アシスト、1.7スティール)がドレクスラー(24.8点、7.8リバウンド、5.3アシスト、1.3スティール)を圧倒していることがわかる。

 対戦相手だけでなく同僚からも恐れられていたジョーダンに対し、ドレクスラーはリーグきっての紳士として知られ、物腰の低さと親切な応対で親しまれていただけに、両者の性格も正反対と言っていいものだった。

 だがバスケットボール殿堂入りを果たした2人のオールラウンダーは、ブレイザーズでチームメイトになっていた可能性があった。ドレクスラーは83年のドラフト1巡目14位でブレイザーズに指名されてNBA入り。ジョーダンは翌84年のドラフト1巡目3位でブルズから指名されてNBA入りしたのだが、その一つ前、2位指名権を持っていたのはブレイザーズだった。

 当時ブレイザーズのゼネラルマネージャー(GM)を務めていたストゥ・インマンは、ドレクスラーのいるチームにウイングの選手を求めておらず、216㎝のサム・ブーイ(元ブレイザーズほか)を指名。足のケガに泣かされたブーイは、NBAキャリアわずか10年で終えたものの、平均10.9点、7.5リバウンド、2.1アシスト、1.8ブロックと、ビッグマンとしては決して悪くない成績を残していた。
 

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