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NBA

“盗まれた栄光”“欺かれたアメリカ”。疑惑の判定でソ連に敗れ、屈辱に塗れたミュンヘン五輪の忌まわしき記憶

出野哲也

2020.07.15

疑惑の判定でソ連に敗れたアメリカ。この忌まわしき記憶は今も消えずに残っている。(C)Getty Images

疑惑の判定でソ連に敗れたアメリカ。この忌まわしき記憶は今も消えずに残っている。(C)Getty Images

 “史上最悪のオリンピック”――。1972年のミュンヘン五輪は、「黒い9月事件」の発生によってそう呼ばれている。そしてアメリカにとってもまた、決勝でソビエト連邦に敗北し、五輪連勝記録が63で途絶える最低の大会となった。

 なぜ無敗を誇っていたアメリカが負けたのか。その背景には、数々の“疑惑の判定”があったのだ。

■“史上最悪のオリンピック”ミュンヘンで起きた負の歴史

 1972年のミュンヘン五輪は、“史上最悪のオリンピック”と言われている。大会11日目、パレスチナ・ゲリラが選手村を襲撃。西ドイツ警察・軍の不手際も手伝って、イスラエル選手団11人が殺害される惨劇「黒い9月事件」が発生したからだ。

 人命が失われた重大さとは比べものにならないけれども、この大会はアメリカバスケットボール史にとっても、最低の思い出が残っている。36年前、同じくドイツで行なわれたベルリン五輪で正式競技に採用されて以降、7度の大会を戦って1試合として敗北を喫したことのなかったアメリカが、決勝で敗れ銀メダルに終わったのだ。

 しかも相手は、最大のライバルであるソビエト連邦(ソ連)。そしてその負け方自体が、到底納得のいかないものでもあった。
 
 この大会のアメリカ代表は優勝候補の最右翼ではあったものの、メンバーは必ずしも強力ではなかった。クラブチームに所属していたケニー・デイビス以外は大学生で、しかも最上級生ではなく2、3年生。平均20.5歳は代表史上最年少だった。

 のちにNBAでオールスターに選ばれるレベルにまで成長した選手も、ダグ・コリンズ(イリノイ州大/元フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)とボビー・ジョーンズ(ノースカロライナ大/元シクサーズほか)の2人のみで、当時のカレッジ最高選手だったビル・ウォルトン(UCLA/元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)は、ヒザのケガを理由に参加を辞退。ジェリー・ウエスト(元ロサンゼルス・レイカーズ)やオスカー・ロバートソン(元ミルウォーキー・バックスほか)ら将来のスーパースターが揃った1960年のローマ五輪、大学卒の経験豊富な選手が多数いた1968年のメキシコ五輪に比べると、実力も経験も若干不足していた。

 それでも大会が始まれば、アメリカは順調に勝ち上がっていく。予選ラウンド第4戦でブラジルに61-54と苦戦した以外は大勝し、日本には99-33とトリプルスコアをつけ圧倒。前述の惨劇後、最初の試合となった準決勝でもイタリアを難なく退け、同じくここまで全勝のソ連と金メダルを賭けて戦うことになった。
 

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